至道無難禅師「雑集」(1)

*〔底本:公田連太郎(編)『至道無難禅師集」春秋社、昭和31年〕

*〔 〕はブログ主による補足。 [ ]は底本編集者による補足を表す。*はブログ主による注釈。原文はひらがなが多く、以下はあくまでもブログ主の解釈です。

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     〇御木像について

関山派、大円宝艦国師・愚堂和尚を正統に継ぐ至道無難庵主の像である。 これは弟子の僧、転心即之が親切をもってこれを造立したものである。寛文九年(一六六九年)初秋(陰暦七月)十三日、江戸城においてこれを受けとったけれども、後世に至って大法が繁栄した時にこの証拠とするためである。幸いに、鎌倉の建長寺塔頭(たっちゅう)*雲外庵に住む僧、徹道が大法のために東北寺に住むことになったので、この縁で鎌倉に安置するのである。後世の証拠のためにこれを書く。六十六歳である。

                            至道庵主   印

塔頭:境内にある小寺。

 

神道では、高天原(たかまがはら)に神とまると言う。高天原は人の身をさす。神とまるというのは胸中が明らかであるのを言う。儒教では、天命性という。天は身のほかに何もない。命というのは何もない心を言う。日本も中国も同じことである。仏道は、聖徳太子の時から我が国に渡り、千年に及んで宗旨が各々分れているが、仏道の大事は、身を無くすることであるから、宗旨の隔てはない。無一物を妙と言い、阿字不生(あじふしょう)と言い、阿弥陀仏と言い、悟と言う。神道儒教は身をもって明らかにするが、仏道は身を打ち破ってじかに天真になるのである。無難が初めて見いだした事確かである。もし後世に至って正法が天下に広まる時、無難の像を求める人があれば、この像を見るがよい。

                          六十七才至道庵主  印

 寛文九己酉(一六六九年)初秋(陰暦七月)の日

 

     〇

  門弟である年老いた尼僧、寿法が私の絵を描いて来て賛(さん)*を求めたので

光明赫灼満天地(光が赤く輝いて天地に満ちる)

仏法元来不現前(仏法は元来姿かたちはない)

迷悟聖賢更無別(迷いと悟り、聖者も賢者もまったく区別はない)

碧空千古一輪円(澄み切った空が永遠の円をなす)

                          至道庵主書   印

*絵などに添えて書く言葉。

 

     〇釈迦の画賛

十二月八日のあさの明星を

見る物はなきものとしる也

(十二月八日の明けの明星を

 見るものはないと知るのである)

                    至道庵主礼拝して賛す

 

     〇達磨自画賛*

何事もしらぬあほうを絵にかいて

尊むものも同じ馬鹿やつ

(何ひとつ知らない阿呆を絵に描いて

 尊崇する者も同じ馬鹿なやつである)

                    独楽院

*自画賛:自分で描いた絵に賛をしたもの。

 

     〇

     定

一、他人の良し悪しを論じてはならない。

一、用の無い人が来た時、僧か俗人か、男か女か関係なく、集まって話すことはやめなさい。

一、客として迎えた僧は一晩だけ泊めること。

一、自分で食事を作ること。

右の四か条は、かたく守り心を新たにすべきものである。

  寛文十三癸丑(一六七三年)終冬(旧暦十二月)の日

                             至道庵 印

 

     〇細川氏所蔵法語一巻

大善知識(たいへん優れた僧)と評判を得ていた人が、ある人に語ったところでは、さまざまな宗派を知り尽くさなければ仏法を会得した人とは言えないといって、いろいろ読んでいる。

また、その傍に、無知無学の人、心安らかに振る舞って、浮き世を逃れて住んでいる人もいる。

昔、孔子の弟子の顔回(がんかい)とかいう人は、貧乏で、一日一食でも途絶えがちだったという。今の世まで語り伝えて、人はこれを尊重している。

推測するに、心がなく身がなく、やすらかに世を渡っていたので、有り難いと言い伝えたのであろう。

ある人に尋ねた。

  蝶は菜虫(なむし)菜虫は蝶となる時は

  いずれを分けて親とさだめん

 (蝶が青虫に、青虫が蝶となるときに

  どちらが親だと決めたらよいのだろうか)

ある人が妙法の心を詠めと言うので詠んだ

  身は破れ心も消えて無けれども

  そのしなじなにまかせぬるかな

 (身は破れて心も消えて無いが

  向かうそれぞれに任せていることだ)

ある人、仏道の大事を問う。私は言った。身を破れ。又尋ねた。あなたの知恵を破れ。

  人のうえ我が身につけていろいろの

  悪しきにいづる知恵としるべし

 (人や自分の身にいろいろの

  悪いことがあったときに出るのが知恵だと知りなさい)

主人に忠誠をしたいと言う人に

  主(ぬし)に忠親には孝をなすものと

  知らでするこそまことなりけれ

 (主人には忠性を尽くし、親には孝行をするものと

  知らないですることこそ本当なのである)

  一物もなき所より見る時は

  主(ぬし)には恐れ親は貴し

 (一物もないところから見る時は

  主人には恐れ慎み、親は尊敬するものである)

道を問う人に

  道という言葉に迷うことなかれ

  朝夕おのがなすわざと知れ

 (道という言葉に迷ってはならない

  朝夕自分が行うことだとしりなさい)

自分の知恵をもって自分の身を苦しめるということを知らないのも、たいへん情けないことである。

名誉や利益に使われるのも、たいそう愚かなことである。

色事に迷うのも、たいへん情けないことである。

このように思う人は世間一般に多いのだが、逃れることが難しい。

人は死のために世に生まれたと知る人はまれである。いつまでも生きるものと思っている。

物事の根源を知る人はまれである。

草の種は草となるのである。

木の種は木となるのである。

人の種は白露の一滴である。

それだから色欲の深いものである。

身が無い時、空(くう)となる。その空が身を使うのである。

身があれば空と隔てられる。自分自分が苦しみを受けるのである。

念があれば生を変えて姿かたちをうけること、確かである。

昔、牛の絵を描く人が、牛に思いを込めたまま眠ったら、その姿が牛になった事、確かである。

 

心という時、無一物である。

念は有一物(一物がある)である。心が固まるのである。

たとえば水(心)の時、自由である。

氷(念)の時、動かない。

凡夫というのは、念が深い時の名前である。

仏というのは、念を離れた時の名前である。

 

昔、千七百人の高僧たちのおっしゃったことを、今の世まで敬い申し上げて、禅宗にあった事である。

趙州(じょうしゅう)和尚に、犬に仏性はあるかないかと尋ねた人に対して、無しとお答えになった。この無ということ、よく心得れば、天地の内のことはさておき、天の外地の外まで疑いがないこと、確かである。例えば初めて悟りの境地に入ったとき、有無を破る。有無を破って強くこれを養えば、身を破る。身を破って強く努めれば、心を破る。心身を破ってのち、本心が現れる。そこに到達すれば、世尊(お釈迦様)がお説きになったこと、少しも疑いがない。地獄があり極楽があり、さまざまな仏、さまざまな魔があり、餓鬼あり、畜生あり、報いあり、一切のお経のことごとく少しも疑いがない。

ある人が尋ねた時に和歌を詠んだ。

  素直なる道を守るは心なり

  道を破るは我が身なりけり

 (素直な道を守るのは心である

  道を破るのは我が身である)

聞く人は感動して涙した。私は言った。これは一切のお経の教えである。本来、良し悪しを越えている。これが常の事になった時、仏道はなくなり、心はなくなり、身はなくなる。この時に至って、仏法なし、教えなし、定めもなし。これを破るものはおのれである。おのれの元は身である。そうであるので、仏道に入る元を、第一に身を破るのを元とするのである。身に八万四千の業があるからである。

たとえ、日夜、諸仏の語をじかに言い出したとしても、身のある人の言うことは凡夫なのである。

たとえ一文字も知らない尼さんでも、心身を滅却した人は仏なのである。

ある時、

  衣をば虚空になりて着れば着る

  坊主の着るは罰(ばち)うくるなり

 (僧衣を虚空になって着れば着れる

  しかし坊主が着るのは罰を受けるのである)

これでよくよく理解してほしい。

生きながら身を無くすることである。

並大抵の修行では成就しがたいことなのである。

ある人の求めにまかせてこれを書く。

  寛文八戌申(一六六八年)仲秋(陰暦十一月)の日

                              至道庵主 印