和歌
一 のちの世の遠きをねがう人はみな
ちかきむねなる仏しらずや
(死んで後の遠い世を願う人たちはみな、すぐ近い自分の胸にある仏を知らないのだろうか。)
一 あさゆう(1)に有無ぜんあくにとまらずば
ひとを自在のほとけとはいう
(1)底本では「ふふゆふ」となっているが「あさゆふ」とみる。
(朝夕に有無や善悪に執着しないならば、その人を自由自在の仏と言うのである。)
一 円相のやぶれかがみの身となりて
本のすがたはあらわれにけり
(丸い形も破れた鏡の身となって、本来の姿は現れたのである。)
一 さしおかず死するに眼(まなこ)をつけて見よ
よぶにこたうる主のすがたを
(捨ておかずに死ぬということをよく注視せよ。呼ぶと答える主のすがたに。)
一 きりはるるときは月日のあらわれて
やまはもと山みずはもと水
(霧が晴れると月や太陽が現れるが、山はもともと山であり水はもともと水である。)
一 ゆられ行く船に入江のわたりして
風にまかせる身こそやすけれ
(揺られている船に入って入江を渡るが、帆掛け船が風にまかせるようなこの身の安楽さよ。)
一 身がくれて(2)光まされる玉なれば
死後のたからとなりにける哉
(2)底本では「見かくれて」としているが「身がくれて」とみる。
(自分の身が隠れてこそいっそう光が増す宝玉であるから、仏という宝石も死後の宝となるのである。)
一 えりきらう二つのこころある人は
みななすことも地獄顛倒
(選り好みする二つに分ける心のある人は、なすことすべて真理とは逆の地獄となる。)
一 もし人の坐禅せずしてこの法(のり)に
かなうは外道(げどう)なりけり
(もし人が坐禅をせずにこの真理に合致することがあったとしても、それは仏の教えではない。)
一 善悪のたたぬところを極むれば
地ごく浄土というきわもなし
(善や悪やということが成り立たないところを究めれば、地獄や浄土といった境遇もない。)
一 一心の門ひらくれば法界の
草木国土ほとけなるべし
(一心という真理の門が開ければ、この真理世界の草も木も国土もみな仏であるよ。)
一 万法は眼(まなこ)のまえにあらわれて
みな唯心(ゆいしん)(3)の仏なりけり
(3)唯心:世界はこころのあわられであるという華厳経に説かれる教え。
(あらゆる物事は目の前に現れるが、すべて唯心の仏であるよ。)
一 百年のうちはわずかにとけまして
わが身の主をはやく知るべし
(百年という時は取るに足らず露のように溶けてしまうので、自分の身の主人をはやく知るがよい。)
この和歌の心はこうである。世間のありさまは本当に、一年一年や四季で移り変わり、昨日とも変わっているのであって、人を弔うが、あすは自分の身の上になるはずである。人の命には定めがなく朝に生まれた者が夕べには死ぬ。十二、十三、二十までに死ぬ人はあるけれども、八十まで長らえる人はまれである。
一 本覚の如来というもよそならず
さとりきわむる人をこういえ
(本来の悟りの知恵をもつ如来というのも他ではない、悟りを究めた人をこう言うのである。)
一 おしえをば法(のり)の道ぞとふみおきて
いそぎてまわれ死後のほとけへ
(さまざまな教えは仏法を進んでゆく道だと踏みゆくのはよいが、いそいで死後の仏へとまわれよ。)
一 きょうけには仏の道のものがたり
まよいの人のみちしるべなり
(さまざまな教家には仏への道の物語があるが、それらはみな迷っている人の道しるべのようなものである。)