夢窓国師仮名法語(五)

征夷将軍(その当時の亜相)ならびに厩(1)(足利義詮(よしあきら))が西芳寺に来られて仏法の談義をなさった後、庭前の二本の桜の木がすばらしいのを鑑賞された折に、人々が和歌を詠まれたときに、

(1)厩:馬寮の守。

 

   いつも見ばかくめづらしき事はあらじ

                 ちりしも花のなさけなりけり

(いつもお会いしているなら、このように珍しい事はなかったでしょう。桜の花が散っているのも花の情けというものでしょう。)

 

   いざしらずにはの梢やかげならん

                池のそこにもはなぞさきけり

(庭の桜の木の梢の方が映った姿なのだろうか。池の底に見える桜の花が見事に咲いていることだ。)

 

   ふく風のえだをならさぬ春なれば

                おさまれる世と花もしるらん

(吹く風が枝を鳴らすことのない春であるから、平和に治まった世の中だと桜の花もきっと知っているであろう。)

 

春の夜ということを、(詠んだ和歌)

 

   わけいづるひまもなきまで霞む夜は

                 おぼろぞ月のすがたなりけり

(分けて出る隙間もないくらいに霞んでいる夜は、月もぼんやりと朧の姿になっているよ。)

 

山居の郭公という題で、

 

   (2)なきいでし軒端の山のほととぎす

  花ゆゑの御幸にあへるおひが身に

             千歳(ちとせ)のはるをなほもまつかな

 

(2)なきいでし・・・:底本では冒頭「本ノママ」としてある。七七の欠落か。

 

(鳴き出した軒端の向こうの山のほととぎす)

(桜の花があるからこそ御幸に立ち会えるこの老いた身に、さらに千年の春を待っていることです。)

 

弥生(三月)の末になってかえって桜が咲いた年にお詠みになった和歌。

 

   花もまた春のなごりをしたふとや

               ことしやよひの末にさくらん

(桜の花も春のなごりを慕っているというので、今年は三月の末に咲いているのであろうか。)

 

花が散り過ぎたあと、西芳寺に将軍がいらした時に、

 

   さかりをばみる人おほしちる花の

                跡をとふこそなさけなりけれ

(盛りになっているのを見る人は多いけれども、散る花の跡に訪れてこそ情趣が深いというものでしょう。)

 

また庭の花をご覧になって、

 

   おなじくは風にしられぬ世しも哉

               わがともとなるかくれ家の花

(同じことならば風に在りかを知られない世の中であればよかったなあ。我が友となっている隠れ家の桜よ。)

 

左武衛将軍、禅閣相公が羽林(近衛)を連れ立ってお越しになり、仏法の談義をした後で庭先の桜の花の下で人々が和歌をお読みになった折に、

 

   おさまれる世ともしらでや此春も

               花にあらしのうきをみすらん

(すでに治められた世とも知らないからだろうか、この春も嵐に花が散る辛さを見せていることだ。)

 

   行く春のとまりをそことしるやらん

                花をさそひてすぐるやまかぜ

(過ぎ行く春の行き先をそこだと知っているからだろうか、桜の花を誘って過ぎて行く山風よ。)

 

   これやまた春の形見となりなまし

               里よりかへるほどぞまたるる

(これもまた春の思い出ときっとなるのでしょう。里からまたここに帰られる時がまたれることです。)

 

弾正(だんじょう)親王が御光臨のおり、題を探りながら人々が和歌を詠んだ折に、

 

   夕暮れをなにいそぎけんまちいでて

                後もほどなきみじかよのつき

(夕暮れを何をそんなに急いでいたのだろうか。待っていて姿を現した後もいくらもしないで消えてしまう短夜の月よ。)

 

武衛がお越しになった時、夏月ということを、

 

   つきをみる心にながき夜はあらじ

               ふけゆくうさは夏のとがかは

(月を見る心にとって長い夜というのはないであろう。夜が更けてゆく辛さは夏の罪ではないだろうよ。)

 

納涼、

 

   くれぬよりゆふべの色はさき立(だち)て

                 木陰すずしきたにかはのみづ

(すっかり暮れてしまう前から夕べの色は先立って迫り、木陰は涼しく、谷川の水音が聞こえるよ。)

 

題しらず、

 

   やまあひの木の間はしらむ短夜に

                なほ明けのこす谷かげのいほ

(山あいの木々の間はもう白んでくる短夜だが、私のいる谷陰の庵はまだ明けきらないことだ。)

 

当時、侍者でいらした頃、円覚寺を出て奥の方を巡礼なさって、うちのくさという山中に庵を結んで、初めて移り住まれた夜、月がくもりなく輝くのをご覧になって、

 

   のがれきていま見る時は替わりけり

                おもひやれかし深山辺の月

(逃れて来て、今こうしてお前をみている時は移りかわっているよ。深い山の辺にかかる月よ、私の心を思いやってみてくれ。)

 

二階堂出雲守道薀(二階堂貞藤(さだふじ)、道薀(どうおん)は法名)の屋敷で、中納言為相(ためすけ)卿暁月房などがお集まりになって、仏法の談義をした後、人々が和歌を詠んだ時に、迷情中仮有生滅(迷いの心において仮に生滅がある)という題で、

 

   夜(よ)のほども幾度(いくたび)いでていりぬらん

                 雲間づたひにいづるつきかげ

(夜のあいだでも、何度出入りすることだろうか、雲間伝いに出る月の姿よ。)

 

   いづるとも入るとも月をおもはねば

                 こころにかかる山のはもなし

(山の端に月が出たとも入ったとも思わなければ、人の生き死にの境も心にかかるものではない。)

 

   いまははやこころにかかる雲もなし

               のがれ来てみるみ山辺のつき

(今ではもう心にかかる雲もない。解き放たれて見る深い山辺の月よ。)

 

   いつまでとしもがれをまつ浅原木(あずらぎ)(3)に

               よはらぬ虫の音(ね)さへはかなし

(3)浅原木:今の京都府綾部市の浅原(あずら)の木か。

 

(いつまでも霜枯れを待っているような浅原の木に、弱らない虫の音さえもはかないことだよ。)

 

   くづはうらみ尾花はまねくゆふぐれに

                 こころづよくもすぐるあき風

(葛(くず)の蔓)は飛ばされまいと恨むかのように薄(すすき)は手招きするかのように揺れる夕暮れに、つれない様子で吹きすぎてゆく秋風よ。)