夢窓国師仮名法語(七)

綱州の退耕庵(1)に住まわれていたころ、ある人が来てこの住居の珍しいことに心がとまったことを和歌に詠んだが、その返歌に、

(1)千葉県いすみ市にあったらしい庵。そこからすると綱州は上総国をさすか。

 

   めづらしくすみなす山のいほりにも

                こころとむれば浮世とぞなる

(見慣れない様子で住んでいるこの山の庵にも、心を留めてしまえば世間となってしまう。)

 

足を上げ下げするのも、これすべて道場であるという心を、

 

   〔風雅入〕(2)

   ふる郷(さと)とさだむるかたのなきときは

                    いづくにゆくも家路なりけり

(2)底本の書入れ。『風雅和歌集』に入っているとの意。

 

(ここが故郷だと定める場所がないときは、どこに進むのも家路であるよ。)

 

題しらず

 

   世にすむと思ふこころをすてぬれば

                山ならねども身はかくれける

(世間に住んでいると思う心を捨ててしまえば、山でなくとも身は隠れてしまうものだ。)

 

   さとりとてつねにはかはる思ひこそ

                迷ひのなかのまよひなりけり

(悟りだといって常日頃とは違う心持ちをするなら、それこそ迷いの中の迷いであることだ。)

 

   惜めどもつゐにはてあるあだし身を

                かねて捨(すて)てぞかしこかりける

(いくら惜しんでもついには限りのある虚しい身なのだから、前もって捨ててしまうのが賢いというものだ。)

 

   我のみとかしこがほなるはかなさよ

                はかなかりせば賢からまし

(自分だけはと賢こげな顔をするはかなさよ。はかないのであれば賢くもないであろうよ。)

 

   捨つるとて人をうらむる世はあらじ

                何にさはりてうきをわぶらん

(捨てるからといって、その人を恨む世というものはない。どんなさしさわりがあってつらい浮世だと嘆いているのか。)

 

   ふくたびにはやめづらしき心地して

                ききふるされぬのきの松かぜ

(吹くたびに早くも珍しい気持ちがして、聞き古すということのない軒の松風だよ。)

 

甲州甲斐国、今の山梨県)の笛吹川(ふえふきがわ)の上流にお住みになっていたころ、

 

   ながれては里へもいづるやまかはに

                世をいとふ身の影はうつさじ

(流れてゆくと里へも出るこの山川に、世間を厭うわが身の姿すらうつすまい。)

 

世尊不説の説、迦葉不聞の聞(3)という心を、

(3)拈華微笑(ねんげみしょう)を言ったものであろう。釈尊が弟子たちを前に蓮華の花を無言で示したとき、迦葉尊者だけが理解して微笑んだというもの。

 

   さまざまにとけどもとかぬ言の葉を

               きかずして聞く人ぞすくなき

(世尊は真理をさまざまな言葉で説いておられるが、言葉で説けない法を聞かずに聞く人は少ないのだ。)

 

成仏なしという心を、

 

   結びしにとくるすがたはかはれども むすぶ

               こほりのほかの水はあらめや

(固まったものが溶ければ姿は変わるけれども、氷とは別の水があるわけではないだろうよ。)

 

 

無輪廻中妄見輪廻(輪廻なき中に誤って輪廻を見ること)という心を、

 

    やまをこえ海をわたるとたどりつる

                夢路はねやのうちにありける

(山を越えたり海を渡ったりして辿る夢路も、醒めてみれば寝屋の中だけであるよ。)

 

弾正親王西芳寺にいらして、仏法の談義をしたあとで和歌をお詠みになったおりに、

 

   さすがまた人のかずなる身となりて

                おひにはもれぬ年ぞつもれる

(さすがに人の数となるような立派な身の上になっても、老いというものかれは漏れないで年は積もってゆくものだよ。)

 

   思ひなすこころからなる身のうさを

                世のとがとのみ歎(かこ)ちけるかな

(あれこれ思い込む心から出てくる身のつらさを、世間の過ちだとばかり嘆いていることだよ。)

 

釈教(仏教)、

 

   しるべとて深きしほりをたのむこそ

                まことの道のさはりなりけり

(道しるべだといって山深いところの枝を折った目印をあてにするようなことこそ、真実の仏道の妨げであることだ。)

 

無常の和歌を勧めたときに。

 

   あだながらこころに残るおもかげぞ 

                烟りとならぬすがたなりける

(はかないとはいえ心に残っている面影が、焼かれて烟とはならない姿であることよ。)

 

後醍醐院の御世に、金剛山というところで合戦があり、公家や武家の人々がたくさん命を落としたということをお聞きになった頃、お読みになったもの。

 

   いたづらに名にかへてだに捨る身を

                法のためにはなどをしむらん

(名誉と引きかえにさえ虚しく捨てる身を、仏法のためにどうして惜しむことがあろうか。)

 

俳諧

 

   いもの葉におくしら露のたまらぬは

                これや随喜のなみだなるらん

(いもの葉におく白露がとどまらず流れるのは、随喜の涙であるのだろうか。)

 

   月かげにまよひあらそふひとあらば 

                さたの外(ほか)なる身をいかにせん

(月の姿のことを迷い争う身分の高い人たちがいるとすれば、さたのほか(問題にならない、裁判にかからない些末なこと)であるこの身をどうすればよいだろうか。)

 

花なし(4)の実がなったのが春の終わりまで庭に残っていたのを、折って将軍へ差し上げたときに、

(4)花なし:花梨(かりん)の実のことか。

 

   桜ちりて花なしとこそおもひしに

               なほこのえだに春はありのみ

(桜が散ってもう花はないと思っていたが、まだこの枝にありのみ(なしの別名)があるように春はのこっていたことです。)