至道無難禅師行録(1)

*〔底本:公田連太郎(編)『至道無難禅師集」春秋社、昭和31年〕

*〔 〕はブログ主による補足。 [ ]は底本編集者による補足を表す。*はブログ主による注釈。

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開山至道無難庵主禅師行録(原漢文)  〔底本は読み下し文となっている〕

                             不々庵主円慈 集

 

師、諱(いみな)は無難、字(あざな)は至道、愚堂国師の法を継いでいる。濃州(美濃の国、今の岐阜県南部)関ケ原駅、三輪氏(あるいは相川氏)の子である。幼くして草書がうまく、郷里の人は仮名書き童子と呼んだ。性格は真面目で慎み深く、内に優れた才能を含んでいた。年齢が十五歳になると父に従って京都、大阪周辺に遊び、世の中の変遷を見て、早くも無常の苦しみ、空や無我の道理を悟って、ひそかに教外別伝(きょうげべつでん:教えの外で伝える事)の真理を慕ったが、家に跡継ぎがおらず、出家する意志が果たせなかった。結局、先祖の生業を継いで、宿場駅の仕事を司った。たまたま美濃の大仙寺の愚堂国師が京都に行き来する際に、師は家に招き、会い難いご縁であることを思って、詳しく禅の根本を尋ねた。国師は、師が純真で素直であるのを見て、本来無一物の句で示した。師は、そこで大いに疑問を発して、密かに研鑽を重ね、ほとんど寝食を忘れた。国師が京都へ行き来するときには必ず師の家に寄って、いろいろと厳しい指導を与えた。師は、ある日、穴あき銭を通す縄をなっていたが、何度も手をはずしてしまってうまく縄がなえない。国師はこの様子をつぶさに見て、ひそかに二三の人に語ったところでは、参禅がもしこのような境地にまで達すれば、見性(けんしょう:自己の本性を悟る)することに何の心配もないのだ、と。後に、本当に師は本心の源に深く達したのである。それで国師は、「劫外(ごうがい)」という居士号を与えた。その折の言葉はこうである。「三輪道時〔無難禅師の俗名〕居士は、濃州関ケ原の人である。かつてここで何人かの禅師に一大事について尋ねたがしばらくは手掛かりがなかった。下がって自ら問題に取り組み長い間探究した。ある夕方、一瞬で夢が醒めるように疑いの念がたちまち破れた。今は私について別号を求めることになったので、これを名付けて劫外と言う。さらに小詩を一篇作って遠大なる前途を祝すのである。《自然はどうして効用を論じることなどあろうか。根の無い樹が樹上に花を新しく付けている。赤でもなく白でもなく目出度い様を示している。いまだ必ずしもこうした春が世の中に来るわけではない。》」これ以降、国師は、意地の悪い手段で向上のために厳しい鉄槌を下した。師は、世俗のしがらみを脱して必ずや残すところなく法を究めようと思い、仏道に真直ぐ進む行ないや、逆に世間に背く行いにおいても、常にその方法を求めた。国師はある日、大名や重臣たちの依頼で江戸にのぼることになり、師の家に寄った。たまたま師は不在だった。奥さんが国師に言うには、主人は近頃、酒を飲むことの度が過ぎている。上の者も下の者もみな嫌がって、ややもすれば離れて行こうとします。お願いですが、和尚さん、憐れんで頂いて、きつく手立てをして頂けないでしょうか、と。国師は承知した。そこで酒樽を席上に備えて、師を待った。夜も更けてから門を叩く者がある。奥さんは、これが主人です。どうか彼の振る舞いを見て下さいという。国師は様子をうかがった。師は門をくぐると酔って狂った様子で、男女とわず怒鳴り散らし、上の者も下の者も叱り飛ばした。一同の者たちは皆目を背けた。国師がすっと出て、御主人元気ですか、私は随分待ちましたぞ、と言う。師はこれを見て驚き、和尚さん、どうしてここにいるのですか、と尋ねる。すぐに国師を引っ張って上座へあげ、礼拝した。国師は言った。私はこのたび事情で遠くに行くことになった。ここで酒樽を準備してお別れを心行くまで惜しみたいがいいか。師は笑って、深い御恩をお受けしますと言った。国師はすぐに家の人に命じて宴席を設けさせ、師に盃いっぱいの酒を与えた。師はつつしんでこれを頂戴した。ここで国師は、厳しい顔つきになって言った。聞くところでは、あなたは酒を飲む度が過ぎて、ややもすれば常軌を逸するというではないか。私は今夜、あなたが飲みつぶれるのを許そう。しかしもしあなたに男の気概があるなら、今回、こころ行くまで酔って、今後は再びそのようなことはやめなさい、と。師は深く頭を下げて拝んで、これは弟子が願うところです。和尚さん、その言葉を忘れないでください、と言った。国師は声を出して笑った。一晩中、俗世を離れた清らかな話がつづき、おもわず明け方になった。国師は駕籠を急がせることになったが、師は急に外に出て一緒に数里〔一里は約4キロほど〕も送った。国師は、師が家を忘れて遠くまで付き従ってくるのを見て、あなたはもう帰りなさい、家族が驚くでしょうと告げた。師は、私には後継ぎがおります、どうして家のことを心配する必要があるでしょうか、と言った。師は旅支度もせず、服や資金もなく、宿場の駅また駅と、駕籠をお守りし、恋々としてこれに付き従って行った。国師はたびたび諭したけれども、師は家や故郷を振り返らなかった。ついに江戸の正燈新寺に到着した。

                              (つづく)