2023-01-01から1年間の記事一覧

月庵禅師仮名法語(十四)

〇 豫洲太守(1)に示す 即心是仏(心がすなわちこれ仏である)。外に向かって仏を尋ねてはなりません。即心是法(心がすなわちこれ仏法である)。他にさらにどのような仏法を求めましょうか。これら真実の一句は人の常日頃の心情を絶って思考の働きは停止…

月庵禅師仮名法語(十三)

〇 道漸居士に示す 我が身は本来、実体はなく、ただ父母の縁によって四大(しだい)が仮に合わさって成ったまでです。四大とは地水火風です。地大というのは、髪や毛や爪や歯や皮膚、肉、筋骨、垢などの物体です。水大というのは、唾や涙や膿や血、その他の…

月庵禅師仮名法語(十二)

〇 簡入禅人に示す 四大(1)はもともと、主体がありません。五蘊(ごうん)(2)は本来、空(くう、実体がない)です。たとえ父母の縁を借りていったんこの世に生じたように見えるといっても、実際には生じるものはありません。またこの人間界の縁が尽き…

月庵禅師仮名法語(十一)

〇 在家の人に答える およそ坐禅の修養は、初めからどのような道理をも心にかけることなく、ただ仏法を明らかにしたいと思う志を命としてこころがけるべきです。極め来たり、極め去り、仏法を明らかにしたいと思う心も、自然と忘れ果てて、ただ身は体ばかり…

月庵禅師仮名法語(十)

〇 信秀禅人に答える 坐禅の探求を行うとき、ただ昏散(こんさん(1))ばかりで、即心即仏(そくしんそくぶつ、その心のままで仏)にもなり得ない。もし昏散もない時、即心即仏とも、本分の所とも言うべきでしょうか。特別に得法(とくほう)といって悟り…

月庵禅師仮名法語(九)

〇 宗真居士に示す。 諸仏が世に出られ、また達磨大師が西から来られたが、かつてたった一つの真理でも人に与えたものはありません。ただ人々が本来もっている自分の本性(ほんしょう)を直接さし示すだけなのです。そもそも本来もっている自分の本性という…

月庵禅師仮名法語(八)

〇 了仁居士に示す 生死事大(しょうじじだい、生死の事は重大であり)、無常迅速(むじょうじんそく、無常は素早く到来する)、百年という月日も一回指をはじく間のように一瞬です。この身がむなしいものであることは、風が吹く前の塵、草葉の上の露と同じ…

月庵禅師仮名法語(七)

〇 在家の女性に示す 自分の心は本来これ仏なのです。千回生まれ変わり一万劫という長い時間を経ても、けっして迷ったということはないのです。迷ったということがなければ、また悟らねばならない真理というものもありません。すでに迷いとか悟りとかいうこ…

月庵禅師仮名法語(六)

〇 妙光禅人に示す 先日の十八首の素晴らしい和歌は、言葉の意味が絶妙であり、特に目も心も驚かすようなものでしたので、重ねて法語一篇をお示しすることを承りました。山野は私の老いや病をともに害して、明け暮れ臥せり、心身はぼんやりとして、ただ愚か…

月庵禅師仮名法語(五)

〇 信女(1)慶明に示す 仏法というのは別の事ではありません。ただ自分の心のことなのです。自分の心を善く保てば、そのまま仏の心であり、自分の身を善く持てば、そのまま仏法です。自分の心を悪く持てば凡夫の心であり、自分の身の振る舞いが悪ければ、…

月庵禅師仮名法語(四)

〇 存上人に示す 仏道に向かうことにおいては、誠(まこと)ということを保つこと以上のことはありません。誠を保っていれば、すべての縁、すべての状況はみなそのまま仏道であって、このほかに別に道はありません。保たないときは、目に触れても道を得るこ…

月庵禅師仮名法語(三)

〇 宗三禅閣(1)に示す 大道には方向や場所はありません。目の前を離れることはなく、仏心に形はないのです。その物その物と一つになってそのまま道理にかないます。一念が生じなければ実体を脱して法身が露わとなります(脱体顕露)。疑いの心がわずかに…

月庵禅師仮名法語(二)

〇 慈雲禅尼に示す 世間は無常です。一切とどまることがありません。たとえば夢や幻、水の泡や影が在るかのようであっても実体がないようなものです。世の中の人々はこの道理を知らず、実際に自分というものが在ると思って、さまざまな貪欲や執着の心が強く…

月庵禅師仮名法語(一)

*月庵禅師(げつあんぜんじ:1326-1389)=臨済宗、月庵宗光(げつあんそうこう)禅師の仮名法語。底本:『禅門法語集 上巻 復刻版」ペリカン社、平成8年補訂版発行〕 *〔 〕底本編者による補足、[ ]はブログ主による補足を表す。 ( )付数字はブログ…