二十一 文字のこと、山に住むことの可否について示すこと あるとき僧がやってきて、意見を述べて言う。私はもともと仏道修行の志がありましたが、不幸にも私の師匠ははやくに亡くなってしまいました。それでその志を遂げることができず、ただいまは住職の身…
十九 思慮分別や妄想を取り除くことについて 一人の男が来訪して訪ねて言うには、前日より和尚の親切なお示しをたまわり、探究をしていますが、分別や妄想がいよいよ盛んになっているようです。この分別や妄想が尽きないと、一心を悟ることができないのでし…
十八 抜隊法語の最初の行について示す事 師がある日おっしゃるには、抜隊法語(一)の最初の行にあるが、輪廻の苦しみを免れようと思うなら、直接、成仏の道を知らねばならない。成仏の道とは、自分の心を悟るのがそれである、と。この一行は、成仏の近道で…
十五 大疑の探究を示す事 師がある時、皆に示して言うには、[公案などの]疑問を突き詰める探究は、百万騎の大敵をただ一人で持ちこたえるかのようにしなさい。「聞く主」を疑う者は、聞いているその主はいったい何者かと、大いなる疑念の塊を起こして深く…
十四 和光行脚(一)の時に学士に逢ったことを示す事 師がある日、大衆に語って言うには、むかし老僧(わし)が和光行脚の時、越後の国[今の新潟県]に言った。ある領主の家中に一千石(二)を持っていた侍があり、若年から学問を好み、文章の才能が非常に…
十三 悟りの上にさらに大事なことがあることを示す事 一人の僧がやって来て、師に考えを述べて言うには、私はすでに個事(こじ(一))を究明して、求めることもなく捨てることもなく、無限の未来までただ一日と見て取って、茶にあえば茶を飲み、飯にあえば…
十 悟りに賢愚の違いはないことを示す事。 一人の男がやってきて尋ねて言うには、自性(じしょう、自分の本性)を明らかにするという事は、賢い人であれば、教えを待たずに明らかにできるでしょう。私らのような愚かな者は、たいへん難しいのではないですか…
九 誰でもに三つの大事があることを示す事。 師がある日、示して言うには、人々に備わっている三つの大事(大切な事)がある。いわゆる生の大事と死の大事と、一大事因縁の大事である。この三つの大事は、人々が知らずにいることはできないものである。どれ…
八 日蓮宗の信士(しんじ(1))に示すこと 一人の信士がやってきて、師に心情を呈して言うには、私の先祖は代々日蓮宗で、私の宗の道者(どうじゃ(2))から妙観(みょうかん(3))のことを聞き、よくよく心に念じてみたが、いまだに何の効果もなく、…
六 平常三昧(1)を示すこと ある僧が、訪問してきて尋ねて言うには、「和尚さん、常日頃、晴天白日のようですか、どうですか」と。師が言われるには、「維摩経にあるように、真実はたとえることができない云々と。この仏性は、白日のようだ、晴天のようだ…
四 お経の中の優れた言葉を示すこと 師はある夕方、集まった人たちに示して言った。如来がお経の中でおっしゃっているが、世界というのは、世界ではなく、これを世界と名付ける(1)と云々。師はまた感嘆して言うには、この意味は非常に深く、言葉に言い表…
三 修験者に示す事 あるとき、修験者が会いに来て尋ねて言った。私は、真言宗の法印(ほういん:最上位の僧)から阿字観(1)の指導を受け、祈念するとき、一心に阿字を念じれば、不動と一体となり、非常な利益があることを伺いました。本当でしょうか、と…
二 どのような人も心地の修行をしなければならないことを示す事 ある人が来て尋ねて言うには、仏法の信心のことですが、私は元より武家の家なので、仏法を信じることはふさわしくないはずで、仏法の信心とか坐禅の探求とかは、ただ出家した僧侶だけのことで…
*澤水禅師(たくすいんぜんじ:?-1740?)=臨済宗、澤水長茂(たくすいちょうも)禅師の仮名法語。底本:『禅門法語集 下巻 復刻版」ペリカン社、平成8年補訂版発行〕 *〔 〕底本編者による補足、[ ]はブログ主による補足を表す。 ( )付数字はブログ…
〇 在家の人に示す 一切の道理は、自分というものがあるときに起こるので、自分を忘れるならば、いったいどんな道理がありましょうか。ただこれ、物事の成り行きに任せ、機縁に従うまでのことです。これは凡人の在り方でも聖人の在り方でもありません。また…
〇 在家の人に示す 仏が世に出られる所以のこの一大事は、天に先立ち地に先立ち、昔をはるかに過ぎ、今も超えています。凡人とか聖人とかの境地の中にはなく、考えや分別も及びません。これを名付けて不思議の法と言うのです。この法は、人々に具わっている…
〇 また示す 自分の心がもとより仏です。仏というのは、迷わない心を言うのです。迷わないところを悟れば、一切の仏や菩薩はすべて一心のうちに具わって、別の本体があるわけではありません。そうとは言っても、その徳(優れた性質)によって、しばらくの間…
〇 明貞道人に示す 自分のこの身心全体は、もとより迷うことのないものです。それゆえにこれを名付けて仏と言います。そもそも仏というのは、容貌が厳格で赤々とひかり輝き、自由に空を飛び、神通力で姿を変えるといったことを言うのではありません。そのよ…
〇 豫洲太守(1)に示す 即心是仏(心がすなわちこれ仏である)。外に向かって仏を尋ねてはなりません。即心是法(心がすなわちこれ仏法である)。他にさらにどのような仏法を求めましょうか。これら真実の一句は人の常日頃の心情を絶って思考の働きは停止…
〇 道漸居士に示す 我が身は本来、実体はなく、ただ父母の縁によって四大(しだい)が仮に合わさって成ったまでです。四大とは地水火風です。地大というのは、髪や毛や爪や歯や皮膚、肉、筋骨、垢などの物体です。水大というのは、唾や涙や膿や血、その他の…
〇 簡入禅人に示す 四大(1)はもともと、主体がありません。五蘊(ごうん)(2)は本来、空(くう、実体がない)です。たとえ父母の縁を借りていったんこの世に生じたように見えるといっても、実際には生じるものはありません。またこの人間界の縁が尽き…
〇 在家の人に答える およそ坐禅の修養は、初めからどのような道理をも心にかけることなく、ただ仏法を明らかにしたいと思う志を命としてこころがけるべきです。極め来たり、極め去り、仏法を明らかにしたいと思う心も、自然と忘れ果てて、ただ身は体ばかり…
〇 信秀禅人に答える 坐禅の探求を行うとき、ただ昏散(こんさん(1))ばかりで、即心即仏(そくしんそくぶつ、その心のままで仏)にもなり得ない。もし昏散もない時、即心即仏とも、本分の所とも言うべきでしょうか。特別に得法(とくほう)といって悟り…
〇 宗真居士に示す。 諸仏が世に出られ、また達磨大師が西から来られたが、かつてたった一つの真理でも人に与えたものはありません。ただ人々が本来もっている自分の本性(ほんしょう)を直接さし示すだけなのです。そもそも本来もっている自分の本性という…
〇 了仁居士に示す 生死事大(しょうじじだい、生死の事は重大であり)、無常迅速(むじょうじんそく、無常は素早く到来する)、百年という月日も一回指をはじく間のように一瞬です。この身がむなしいものであることは、風が吹く前の塵、草葉の上の露と同じ…
〇 在家の女性に示す 自分の心は本来これ仏なのです。千回生まれ変わり一万劫という長い時間を経ても、けっして迷ったということはないのです。迷ったということがなければ、また悟らねばならない真理というものもありません。すでに迷いとか悟りとかいうこ…
〇 妙光禅人に示す 先日の十八首の素晴らしい和歌は、言葉の意味が絶妙であり、特に目も心も驚かすようなものでしたので、重ねて法語一篇をお示しすることを承りました。山野は私の老いや病をともに害して、明け暮れ臥せり、心身はぼんやりとして、ただ愚か…
〇 信女(1)慶明に示す 仏法というのは別の事ではありません。ただ自分の心のことなのです。自分の心を善く保てば、そのまま仏の心であり、自分の身を善く持てば、そのまま仏法です。自分の心を悪く持てば凡夫の心であり、自分の身の振る舞いが悪ければ、…
〇 存上人に示す 仏道に向かうことにおいては、誠(まこと)ということを保つこと以上のことはありません。誠を保っていれば、すべての縁、すべての状況はみなそのまま仏道であって、このほかに別に道はありません。保たないときは、目に触れても道を得るこ…
〇 宗三禅閣(1)に示す 大道には方向や場所はありません。目の前を離れることはなく、仏心に形はないのです。その物その物と一つになってそのまま道理にかないます。一念が生じなければ実体を脱して法身が露わとなります(脱体顕露)。疑いの心がわずかに…