夢窓国師仮名法語(六)

瑞泉院の一覧亭で、雪が降った日に、 まつもまたかさなる山のいほりにて 梢につづくにはのしらゆき (松の木が重なるように生える山の庵で、その梢から庭までも白い雪が続いていることだよ。) 雪の中で、草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶ…

夢窓国師仮名法語(五)

征夷将軍(その当時の亜相)ならびに厩(1)(足利義詮(よしあきら))が西芳寺に来られて仏法の談義をなさった後、庭前の二本の桜の木がすばらしいのを鑑賞された折に、人々が和歌を詠まれたときに、 (1)厩:馬寮の守。 いつも見ばかくめづらしき事は…

夢窓国師仮名法語(四)

夢窓国師御詠 甲州(今の山梨県の辺り)河浦という所に山籠もりしていらした庵の庭の雪がまだらに消えて、人が踏んだのに似ていたのをご覧になって詠んだ和歌 わが庵(いお)をとふとしもなき春のきて にはに跡ある雪のむらぎえ (わたしの庵(いおり)を人…

夢窓国師仮名法語(三)

和歌 一 のちの世の遠きをねがう人はみな ちかきむねなる仏しらずや (死んで後の遠い世を願う人たちはみな、すぐ近い自分の胸にある仏を知らないのだろうか。) 一 あさゆう(1)に有無ぜんあくにとまらずば ひとを自在のほとけとはいう (1)底本では「…

夢窓国師仮名法語(二)

ねられずば起きていよかし梓弓 あたらぬまでもはづれざりけり (寝られないのであれば起きていればよい。考えが的にあたらなくとも、外れることもないというものだ。) どうせ眠れないのであれば起きていて自分の生死の一大事を究めなさるがよい。たとえこの…

夢窓国師仮名法語(一)

*夢窓国師(むそうこくし:1275-1351)=臨済宗天龍寺開山、夢窓疎石(むそうそせき)禅師の仮名法語。底本:『禅門法語集 中巻 復刻版」ペリカン社、平成8年補訂版発行〕 *〔 〕底本編者による補足、[ ]はブログ主による補足を表す。 ( )付数字はブ…

聖一国師(東福寺開山)仮名法語(六=終わり)

古人法語(1) 参禅の日々を重ねて成果を得ようと思うなら、千尺(2)の井戸の底に落ちたかのようにするがよい。朝から夕方になるまで、夕方から朝になるまで、千万という思案や分別を、ひたすらこの井戸を出ようとすることを求める心だけにして、ほかのこ…

聖一国師(東福寺開山)仮名法語(五)

問い もし見性成仏の本質を明らかにすることなく、臨終に向かっている時には、最後にはどのような心構えでいればよいのか。 答え 一心が起こって生死がうまれる。無心のとき、生まれる身もなく、消滅する心もない。無念無心のとき、まったく生滅というものは…

聖一国師(東福寺開山)仮名法語(四)

問い 長い間坐禅修行をしている人は、身心が明るく清浄に違いない。初めて修行をする人は、妄想や顛倒(てんどう、さかさまな思い違い)がどうして止むだろうか。 答え 妄想や顛倒を憎んではならない。ただ心の本性を明らかにしなさい。一心が分からず迷って…

聖一国師(東福寺開山)仮名法語(三)

問い 見性し道を悟った人は、じかに仏だとは言っても、どうして神通力や光明に輝くようなことがないのか。また普通の人と違って、霊妙な働きとみえるようなこともない。これはどういうことか。 答え この身は、過去の妄想から造り出されているので、見性した…

聖一国師(東福寺開山)仮名法語(二)

問い 善根(ぜんこん、善い報いの原因となる行為)の功徳を積まなければ、どうしてあらゆる徳が円満に備わった仏となることができるのか。 答え 善根の功徳を集めて仏になろうと願う人は、三大阿僧祇劫(1)を経過して成仏することができよう。ただ直指人心…

聖一国師(東福寺開山)仮名法語(一)

*聖一国師(しょういちこくし:1202-1280)=臨済宗東福寺の開山、円爾(えんに)禅師の仮名法語。底本:『禅門法語集 中巻 復刻版」ペリカン社、平成8年補訂版発行〕 *〔 〕底本編者による補足、[ ]はブログ主による補足を表す。 ( )付数字はブログ…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(十四=終わり)

(「僧俗(僧侶と俗人)の因果の事を示す」の項つづき) 三つ目は順後業。これはこの世で作る罪が、三世四世あるいは百世千世の後でもきっと報いを受けるというものである。順後生受業と言うのである。影が形にそうようなもので、必ず因果が合致したときにこ…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(十三)

〇 僧俗(僧侶と俗人)の因果の事を示す 私は一切経(すべてのお経)を二回見たが、どれほど悪いからといっても、出家の人がふたたび俗人に返るべきだとお説きになっている経はない。それなのに、出家が誠の道を行わなければ、地獄に落ちることは矢のごとく…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(十二)

〇 教外 教外(きょうげ)というのは、不立文字(ふりゅうもんじ)の宗であり、いわゆる禅宗がこれである。学ぶべき師もなし、示すべき働きもなし、教えるべきものもなし、ただ自ら独り真理を悟るのである。心は透きとおり輝くようで一物もない時、煩悩もな…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(十一)

[これまでブログ主による注は*を使ってきましたが、数が多くて読みにくいのでここから括弧付き数字に変更します。] 〇 教内 教内(きょうない)(1)というのは次のようなことである。真言宗では、六大(ろくだい)(2)はことごとく仏の法身、本体であ…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(十)

〇 無相 無相(むそう、姿形がない)というのは、諸仏の心の姿、衆生の心の源である。あらゆる物事は、無相を根本としている。それゆえ達磨が言うには、菩提(ぼだい、悟りの知恵)は、無相を本性としている、と。衆生は有相(うそう、姿形のあること)に捉…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(九)

〇 見性 見性(けんしょう)というのは仏性(ぶっしょう、ほとけである本性)である。あらゆる物事の真実の姿である。衆生の心の本性(ほんしょう)そのものである。この本性は有情(うじょう、命あるもの)非情(命のないもの)すべてに渡り、凡夫でも賢人…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(八)

〇 大徹 大徹(だいてつ)というのは次のようなことである。常日頃の心の在り方が霊妙であり、あらゆる物事が明白で、物事に妨げられることがなく、一切に透徹していることは、傷のない宝玉がよく物を透し、すべての現象を映し出すようなものである。それゆ…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(七)

〇 大用 大用(だいゆう)というのは次のようなことである。仏や祖師も伝えない、向上の一路を歩み出て、生き死にの路を断ち切り、自分の風光(周囲に放つ働き)によって無明(むみょう、真理に暗い無知)を打ち破り、太陽が虚空高く昇って真理の世界を照ら…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(六)

[「大悟」の項のつづき] 諸塵三昧(しょじんざんまい)というのは次のようなことである。諸塵(もろもろのちり)というのは煩悩のことである。また妄念のことである。三昧というのは定(じょう、乱れず定まっていること)という意味である。悟りの知恵の本…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(五)

[「大悟」の項のつづき] 今の釈迦仏は、周の昭王(しょうおう)*十四年甲寅歳四月八日に王宮にて誕生され、同三十二年二月八日に十九歳で出家なされ、壇特山**に籠って道の修行をし、三十歳の時、十二月八日の明星が出た時に菩提樹の下で正覚(しょうが…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(四)

〇 大悟 大悟(たいご)というのは、次のようなことである。心は本来、不生(ふしょう、生じたということがない)であり、法(真理)は本来、無法(むほう、説くべき真理はない)であり、煩悩は本来、これ菩提(ぼだい、悟りの心)である。心として求めるべ…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(三)

〇 大疑 大疑(たいぎ、大いなる疑念)というのは次のようなことである。文殊菩薩は鋭利な剣を打ち振るって三世(過去・現在・未来)の諸仏を切り破れとおっしゃった。また、わが身は仏であると信じない者は、三世の諸仏を誹謗する者である。丹霞和尚*は、…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(二)

〇 理致 理致(りち)というのは、様々な善やあらゆる法(真理)の根源であり、諸仏の本源であり、衆生の本心である。この道理を見失っているので衆生となるのである。諸仏は、この心をお悟りになるので、仏となられるのである。経に言うように、正しい教え…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(一)

*道元(どうげん:1200-1253)禅師の仮名法語。底本:『禅門法語集 中巻 復刻版」ペリカン社、平成8年補訂版発行〕 *〔 〕底本編者による補足、[ ]はブログ主による補足を表す。 *はブログ主による注釈。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー …

大応仮名法語(十=終わり)

〇 病中の者に示す 病の中での工夫(くふう:心を尽くして修行に打ち込むこと)は、ただ心に物を懸けないことである。これは今生での祈祷であり、また来世での菩提(悟りの境地)である。これ以上のことはない。たとえ死の免れがたい状況であっても、必ず助…

大応仮名法語(九)

〇ここまでこまごまと書いて来たが、つまるところはただ、公案を一つ持って、どのように答えようかと思案されれば、答え方に思い至ることができるのである。そのようなことがある場合には、善知識(指導する師僧)の所へ行ってその様子を申し上げるのだ。師…

大応仮名法語(八)

(続)大恵禅師*が言うには、たとえ最後まで通らなくとも、般若(知恵)の中にあると言う。ただこの自分の身のことを思うのならば、自分の身を思わず、木石のようになりなさい。木人は人が打っても痛むことはなく、罵っても腹を立てず、非難しても怒らず、…

大応仮名法語(七)

(続)法華宗で[南無妙法蓮華経の]妙の字を説明するときには、妙とは心であると言う。このように心得れば、唱えなくとも常に念仏し、修行を行わなくとも自然と極楽の衆生である。これは教家*の言うところである。もし教外別伝**ということになれば、鏡…