2019-12-01から1ヶ月間の記事一覧

塩山仮名法語(7)

六十二、さまざまな業(ごう、自分の行為によって引き受けることになる結果)の根本は、識情(しきじょう)*である。識情を忘れ去れば、解脱(げだつ)**の人である。その識情というものは、自分の本性を悟れば寂滅(じゃくめつ)***するというのは、…

塩山仮名法語(6)

中村安芸守月窓聖光に示した教え 四十八、「応無所住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)」(まさに住する所なくして其の心を生ずべし」*という一句について、どのように修行したらよいのかというお尋ね、承知しました。道を覚ることは、特別な注意…

塩山仮名法語(5)

四十、釈尊(しゃくそん)*は、さまざまな難行、苦行をなさっていた頃は、ついに仏に成ることもなかった。六年間、すべてを投げ捨てて座禅をして心を悟り、つまり正しい悟りに到達して、すべての衆生のために心の真理を説かれたのを、一切経と言ったのであ…

塩山仮名法語(4)

神龍寺の尼長老に与えた教え 三十一、仏に成りたいという望みのある人は、仏になるはずのその主(ぬし)を知らねばならない。この主を知りたいと思うなら、たった今の一念について参究しなさい。あらゆる善悪を思い、色を見、声を聞くものはいったい何かと、…

塩山仮名法語(3)

二十一、一念も生じないところを極めて進んでゆくと、虚空のごとく一つの物もないと知られるところすら絶え果てて、まったく味わいもなく闇夜のようになるところについて退く心を起こさず、そうしてこの音を聞く者は、いったい何者であるかと力を尽くして疑…

塩山仮名法語(2)

九、そもそも、たった今、目では色を見、耳で声を聞いたり、手を挙げ、足を動かしている主人は、いったい何者かとみれば、こうしたことは皆、自分の心の行うことだとは分かっているけれども、本当のところ、どんな道理なのかは知らない。これは何も無いのだ…

塩山仮名法語(1)

*底本:古田紹欽(訳注)『日本の禅語録 第十一巻 抜隊」講談社、昭和五十四年〕 *この法語には、古田紹欽氏の現代語訳が同書に掲載されていますので、重ねて現代語訳を出すのは少々はばかられますが、同書は品切れで入手できず、WEB上には現代語訳は出…