2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

盤珪禅師「盤珪仏智弘済禅師御示聞書 上」(2)

二 禅師が先のようにお示しになったのを聞いて、出雲の俗人が禅師に尋ねて言った。禅師のお示しの通りであれば、無造作に仏心でいれば気楽でございますが、あまりにもお示しが軽すぎたのではございませんでしょうか、と。 禅師は言った。仏心でいなさいとい…

盤珪禅師「盤珪仏智弘済禅師御示聞書 上」(1)

*底本:鈴木大拙(編校)『盤珪禅師語録 附 行業記」岩波書店、1941年〕 *〔 〕底本編者による補足、( )は底本編者の挿入、[ ]はブログ主による補足を表す。 *はブログ主による注釈。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 盤珪仏智弘済禅…

至道無難禅師行録(4=終わり)

師は、常に人に示すのに、多く和歌を用いて、言った。 心より外に入るべき山も無し 知らぬ所を隠れ家にして (心のほかに入るべき山もない 知らないという所を隠れ家にして) 知れば迷い知らねば迷う法の道 何が仏のまことなるらん (知れば迷い、知らなくて…

至道無難禅師行録(3)

師は、皆に示して言った。わずかでも人に与える仏法があるのであれば、全くの誤りである。これを習い学ぼうとする者に至っては言うまでもないことだ。世の人は、なぜ末法となるのかを知らない。釈迦如来の大いなる仏法は、二千年余りを経て我が国に伝わって…

至道無難禅師行録(2)

すぐその日に髻(もとどり)を切り、髭と髪を洗って、自ら国師の前にひざまずいて言った。私は長い間、機会を求め、幸いに世俗の塵を脱します。出家する時が来ました。どうかお慈悲を頂かせてください。国師は笑って得度させ、名付けて無難とした。これより…

至道無難禅師行録(1)

*〔底本:公田連太郎(編)『至道無難禅師集」春秋社、昭和31年〕 *〔 〕はブログ主による補足。 [ ]は底本編集者による補足を表す。*はブログ主による注釈。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 開山至道無難庵主禅師行録(原漢文) 〔底本…

至道無難禅師「雑集」(2=終わり)

〇細川氏所蔵法語一軸 ある人が地獄について尋ねた。私は言った。あなたが身に責められる時を言うのだ。極楽について尋ねた。身の責めが無い時を言うのだ。仏について尋ねた。心身ともに無し。彼はいった。死人と同じではないか。私は言った。生きながら死人…

至道無難禅師「雑集」(1)

*〔底本:公田連太郎(編)『至道無難禅師集」春秋社、昭和31年〕 *〔 〕はブログ主による補足。 [ ]は底本編集者による補足を表す。*はブログ主による注釈。原文はひらがなが多く、以下はあくまでもブログ主の解釈です。 ーーーーーーーーーーーーー…

至道無難禅師「大村氏所蔵法語及書簡等」

*〔底本:公田連太郎(編)『至道無難禅師集」春秋社、昭和31年〕 *〔 〕はブログ主による補足。 [ ]は底本編集者による補足を表す。*はブログ主による注釈。原文はひらがなが多く、以下はあくまでもブログ主の解釈です。 ーーーーーーーーーーーーー…

至道無難禅師「相川氏所蔵法語及書簡等」(3=終わり)

〇 一、仏の道は、まちがって修行なさると、きちがいになるものでございます。 一、▢▢*あらゆる事柄にかかわらないのがいいといって、身の上が崩れるのも知らない。 *▢▢には文字が入るが、判別不能のため、底本では欠字になっている箇所。以下、推測可能な…

至道無難禅師「相川氏所蔵法語及書簡等」(2)

〇 一、大悟(たいご、深く悟ること)すれば、大悟はない。祈って祈るものなく、喜んで喜んでいるものがない。生きて、生きているものがなく、死んで、死ぬものがない。あるものもなく、無いものもない。姿はありながら、姿もなく、有無を越えて有無にまかせ…

至道無難禅師「相川氏所蔵法語及書簡等」(1)

*〔底本:公田連太郎(編)『至道無難禅師集」春秋社、昭和31年〕 *〔 〕はブログ主による補足。 [ ]は底本編集者による補足を表す。*はブログ主による注釈。原文はひらがなが多く、以下はあくまでもブログ主の解釈です。 ーーーーーーーーーーーーー…

至道無難禅師「無難禅師道歌集」(5=終わり)

八十七、 たくさん人を使う人に 身を思う人をあたりへ近づけな 主(ぬし)も親をも殺すものなり (自分の身を思う人を近辺に近づけるな 主人も親をも殺すものである 八十八、 慈悲について尋ねた人に 思い立つ慈悲をわが身に破られて 畜生となる後いかにせん…