2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧

聖一国師(東福寺開山)仮名法語(二)

問い 善根(ぜんこん、善い報いの原因となる行為)の功徳を積まなければ、どうしてあらゆる徳が円満に備わった仏となることができるのか。 答え 善根の功徳を集めて仏になろうと願う人は、三大阿僧祇劫(1)を経過して成仏することができよう。ただ直指人心…

聖一国師(東福寺開山)仮名法語(一)

*聖一国師(しょういちこくし:1202-1280)=臨済宗東福寺の開山、円爾(えんに)禅師の仮名法語。底本:『禅門法語集 中巻 復刻版」ペリカン社、平成8年補訂版発行〕 *〔 〕底本編者による補足、[ ]はブログ主による補足を表す。 ( )付数字はブログ…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(十四=終わり)

(「僧俗(僧侶と俗人)の因果の事を示す」の項つづき) 三つ目は順後業。これはこの世で作る罪が、三世四世あるいは百世千世の後でもきっと報いを受けるというものである。順後生受業と言うのである。影が形にそうようなもので、必ず因果が合致したときにこ…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(十三)

〇 僧俗(僧侶と俗人)の因果の事を示す 私は一切経(すべてのお経)を二回見たが、どれほど悪いからといっても、出家の人がふたたび俗人に返るべきだとお説きになっている経はない。それなのに、出家が誠の道を行わなければ、地獄に落ちることは矢のごとく…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(十二)

〇 教外 教外(きょうげ)というのは、不立文字(ふりゅうもんじ)の宗であり、いわゆる禅宗がこれである。学ぶべき師もなし、示すべき働きもなし、教えるべきものもなし、ただ自ら独り真理を悟るのである。心は透きとおり輝くようで一物もない時、煩悩もな…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(十一)

[これまでブログ主による注は*を使ってきましたが、数が多くて読みにくいのでここから括弧付き数字に変更します。] 〇 教内 教内(きょうない)(1)というのは次のようなことである。真言宗では、六大(ろくだい)(2)はことごとく仏の法身、本体であ…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(十)

〇 無相 無相(むそう、姿形がない)というのは、諸仏の心の姿、衆生の心の源である。あらゆる物事は、無相を根本としている。それゆえ達磨が言うには、菩提(ぼだい、悟りの知恵)は、無相を本性としている、と。衆生は有相(うそう、姿形のあること)に捉…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(九)

〇 見性 見性(けんしょう)というのは仏性(ぶっしょう、ほとけである本性)である。あらゆる物事の真実の姿である。衆生の心の本性(ほんしょう)そのものである。この本性は有情(うじょう、命あるもの)非情(命のないもの)すべてに渡り、凡夫でも賢人…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(八)

〇 大徹 大徹(だいてつ)というのは次のようなことである。常日頃の心の在り方が霊妙であり、あらゆる物事が明白で、物事に妨げられることがなく、一切に透徹していることは、傷のない宝玉がよく物を透し、すべての現象を映し出すようなものである。それゆ…