永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(十一)

[これまでブログ主による注は*を使ってきましたが、数が多くて読みにくいのでここから括弧付き数字に変更します。]

 

〇 教内

 

教内(きょうない)(1)というのは次のようなことである。真言宗では、六大(ろくだい)(2)はことごとく仏の法身、本体であるから、三千世界(3)は三千世界ではなく、三千世界がそのまま大日如来(だいにちにょらい)(4)である。四曼(しまん)(5)はすべて真言(6)であるから、すべての物事はすべての物事ではなく、すべての物事がそのまま覚王(かくおう)(7)である。心王(しんのう、心の主体)すなわち大日如来を体として、さまざまな物事を真言とし、法界(ほっかい、この真実の世界)を浄土とする。天台宗では、三諦(さんだい)相続(8)の真如の月は、六即戒行(ろくそくかいぎょう)(9)の台を明るく照らし、十界(じっかい)(10)の宝珠(ほうじゅ、宝の玉、珠玉)は一大円教(究極の教え)の部屋の中で鮮やかに輝いている。一心三観(いっしんさんがん)(11)を修行して、即心成仏(12)を目指すとされる。三諦というのは、空仮中の三つの真理のことである。一念がそのまま三千世界である。三観というのは、心の本性が因縁によって生じるのを有(う)と説き、心の本性が縁によって消滅するのを空と説き、心の姿形は縁によって消滅するけれども、心の本体は常に生きており変化しないことを中道と名付ける。空仮中の三諦に形や姿はないと観ずるのを一心三観と名付ける。華厳宗には、三界唯一心、心外無別法、心仏及衆生、是三無差別と言う。三界(欲界・色界・無色界)はただ一つの心であり、心の外に別に真理はない。心と仏および衆生とこの三つには差別はないと観るのである。三論宗では、三転法輪(13)の恵みの風は尽浄虚融(じんじょうこゆう、ことごとく清らかで滞りがない)の部屋に仰ぎ、二相諸証(にそうしょしょう)(14)の悟りの月は、畢竟皆空(ひっきょうかいくう)(15)の天に輝くと言う。これは畢竟皆空を核心とするのである。法相宗では、万法唯識(まんぼうゆいしき、すべては心の描き出す存在にすぎない)と観る論の空の月は、阿頼耶(あらや)(16)の床に明るく照っている。五種各別(17)の優れた議論の珍しい花は百法(無数の真理)の林に鮮やかに咲いている。変化所執性(へんげしょしゅうしょう)依他起性(えたきしょう)円覚実性(えんかくじつしょう)の三つの本性(18)を獲得するとする。この宗は、一切唯識を核心とする。すべてを詳しく言えば、釈尊がお説きになった八万宝蔵(すべての教え)であり、特殊な意味があるわけではない。諸仏の真理も限りがないゆえに、衆生の心も限りがない。衆生の心も限りがないゆえに、戒律もまた限りがない。衆生の心は限りがないといえども、心・意・識(19)の三つを出ることはない。仏法は限りがないといえども、戒・定・慧(戒律と禅定と般若智)の三つの学を出ない。これを教内とするのである。

 

(1)教内:次項「教外(きょうげ)」で不立文字、教外別伝を標榜する禅宗について語るのと対照的に、ここでは経を典拠とする諸宗を教内として語る。

(2)六大:真言宗で万物の構成要素とする地・水・火・風・空・識の六つ。

(3)三千世界:仏教の宇宙観。巨大な山(須弥山、しゅみせん)を中心とする一つの世界=小世界が千集まったものが小千世界、それが千集まって中千世界、それが千集まって大千世界をつくり、この三種の千世界全体を三千世界といい宇宙全体を表す。古代インドの宇宙観が仏教に入ったものと言われる。

(4)大日如来真言密教で宇宙の真理そのものを表す仏。毘盧遮那仏に同じ。

(5)四曼:真言密教の四種曼荼羅(ししゅまんだら)のこと。四種類の曼荼羅曼荼羅は、サンスクリット語の音を写したもので、「本質を所有するもの、本質を図示したもの」の意味という。

(6)真言サンスクリット語マントラを訳したもの。「真実の言葉、秘密の言葉」の意味という。

(7)覚王:釈迦如来のこと。

(8)三諦相続:「三諦」は、天台智顗(ちぎ)の説いた思想で、空・仮(け)・中の三種の真理のこと。空諦(一切存在は空である)と、仮諦(一切存在は縁起によって仮に存在する)、中諦(一切存在は空・仮を超えた絶対のものである)の三つの真理が互いに融けあって、同時に成立し続けていること。

(9)六即戒行:六即は、究極の悟りに至るまでの六つの段階を指す。戒行は、戒律を守って修行に励むこと。台は、戒律を受ける戒台、戒壇か。

(10)十界:天台宗で、人間の境地を十に分類したもの。六道に声聞・縁覚・菩薩・仏の四つを加えたもの。

(11)一心三観:一切は空であると観る空観、一切は仮の存在と観る仮観、一切は空・仮を超えた絶対と観る中観の三つの見方を同時に観想する天台宗の観想法。続く本文では有・空・中道を観ずることとして説明されている。

(12)即心成仏:中国の馬祖道一禅師(709年~788年)には「即心即仏、即心是仏」の語があり、日本の空海(774年~835年)には「即身成仏」の語がある。いずれも仏が遠くにあるものではなく、我が心身がそのまま仏であることを説く。底本では「即心成仏」となっているが、「即身成仏」とすべきか。

(13)三転法輪:釈尊が生涯に三種類の法を説かれたという説。

(14)二相諸証:二相は二蔵で仏法を大乗教徒に説かれた菩薩蔵と小乗教徒に説かれた声聞蔵に分けるもの、ここではその双方でさまざまに証しされた仏法全体を言うか。

(15)畢竟皆空:さまざまに説かれる空の中で最終的な空。

(16)阿頼耶:阿頼耶識のこと。人間の認識の働きのうちで最も根源的なものとされる。

(17)五種各別:五性各別(ごしょうかくべつ)。法相宗で、衆生の本性を五種類に分類する説。菩薩定性、縁覚定性、声聞定性、不定性、無性。

(18)三性:世界は実体があるかのように見られただけのもの(遍計所執性、へんげしょしゅうしょう)であり、それらは他のものによって縁起したものである(依他起性、えたきしょう)ので、修行により「円満な真実の性質」をあらわす(円成実性)とする唯識の教え。

(19)法相宗では、識を六識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識の六種の認識)意を第七の末那識、心を第八阿頼耶識とするという。