大応仮名法語(一)

*大応国師南浦紹明(なんぽしょうみょう:1235-1309)禅師の仮名法語。底本:『禅門法語集 中巻 復刻版」ペリカン社、平成8年補訂版発行〕

*〔 〕底本編者による補足、[ ]はブログ主による補足を表す。

*はブログ主による注釈。

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 そもそも生き死にを離れ、菩提[悟りの境地]を修得しようと思うなら、まずこの心と体とを明らかにしなければならない。体というのは、あなたの四大*である地水火風に他ならない。この四大は、本来、不生不滅**であり、すべて生き死にというものがない。来ることもなく去ることもない常住不変の法界[ほっかい:真実の世]から現れた四大であるから、主体もなく我[固有の自性]もなく、来るときも法界から現れ、去るときもまた法界に帰る。それゆえ心性[しんしょう:心の本性]は虚空と同体であって、朕跡[ちんせき:隠れたり現れたりすること]なく、涯岸[がいがん:障壁」もない。万物の姿も増すことなく、五蘊***も乱れることがない。円陀陀孤迴迴[えんだだこかいかい:まどかに美しく、一でありながら活発に動く]であり、円満ではてしがない。ただ、このものの正体は、十方****の虚空の全世界にあまねく満ち満ちており、たった一つの塵もほかのものではない。草木や国土、山河大地、塵も何もかも、森羅万象、ことごとくこれ、本来の場所の輝き、本来の面目[姿]である。この本体の性質は、今現在、見たり聞いたり気づいたりすることの中で、けっしてその見たり聞いたり気づいたりすることと同じではない。仏たちが世に出られる中で、この本体は世にはでない。衆生[しゅじょう:命あるものすべて]は輪廻[うまれかわり]するけれども、この本体は輪廻しない。無限に遠い過去から純粋でけがれなく一つ朗らかで、虚空を本体とし、虚空を性質とする。仏たちの真の根源であり、衆生の本性である。草木国土、ありとあらゆるものは皆、これを本性としている。それゆえ、あらゆる存在と心の真理とは一つのものであって、つまり即心即仏*****である。

*四大(しだい):物質界を構成する元素と考えられたもの。地・水・火・風の四つ。

**不生不滅(ふしょうふめつ):生じることもなく滅することもない。

***五蘊(ごうん):世界を構成する五つの要素。色(しき:物質)受(じゅ:感覚)想(そう:想念)行(ぎょう:意志)識(しき:認識)。

****十方(じっぽう):東・西・南・北・北東・北西・南東・南西・上・下の10の方向。あらゆる方向のこと。

*****即心即仏(そくしんそくぶつ:この心がそのまま仏である。)

                                 (つづく)