2022-01-01から1年間の記事一覧

夢窓国師二十三問答(八=終わり)

二十二 心がおこるのをどうすべきかという事 尋ねて言った。何の心もないように妄念をはらうといっても、見ること聞くことがないわけにはいかないので、その縁に従って心がさまざまに起こるのをどのようにすればよいでしょうか。答えて言う。心に浮かぶこと…

夢窓国師二十三問答(七)

二十一 心のないのを仏とする事 尋ねて言った。心のないのを仏の心とし、念が起こらないのを御法(みのり、仏法)であると承りましたが、妙法(言葉で言い表せない優れた真理)は心と念の事だというのはどういうことでしょうか。答えて言った。どのような心…

夢窓国師二十三問答(六)

十八 何事も思わず為すこともないのは悪い事 問い。そうすると、何事も思わず為すこともない者を良いとおっしゃるのでしょうか。答え。信心がなく仏道を志す心もなくて愚かである人、そのように為すこともなく御法(みのり、仏法)を心にかけることもなく無…

夢窓国師二十三問答(五)

十四 懺悔に二種類があること 尋ねて言った。二つの懺悔のうち、どちらを行うべきでしょうか。答えて言うには、人の心に任せるべきであるとはいえど、あらゆる心は無いことでありますから、無念無想ということが肝心でございます。有相(うそう:姿形がある…

夢窓国師二十三問答(四)

十一 善根(ぜんこん)(1)に有漏(うろ)無漏(むろ)(2)の違いがあること 尋ねて言う。善を行うには有漏の善、無漏の善といって、行う人の心によって、優劣の違いがあるというのは、どのようなことでしょうか。答えて言う。他人が大変栄えているのを…

夢窓国師二十三問答(三)

七 仏が人と異なるという事 尋ねて言う。仏は姿かたちも人より優れ、美しく、光を放ち、心も衆生とは違っておられると承知しておりますのに、私どものような者と同じとは、まったく納得しがたいことでございます。どのように理解すればよろしいのでしょうか…

夢窓国師二十三問答(二)

五 根本は生まれず、死なない事 尋ねて言った。生まれるものはすべて死ぬものである。生まれればこそ、私とか人とかいうこともあり、また死ぬからこそ、この世にとどまらず、仏ともなり、地獄にも入ると言いますのに、生まれもせず、死にもしないとはどのよ…

夢窓国師二十三問答(一)

*夢窓国師(むそうこくし:1275-1351)=臨済宗天龍寺開山、夢窓疎石(むそうそせき)禅師の仮名法語。底本:『禅門法語集 上巻 復刻版」ペリカン社、平成8年補訂版発行〕 *〔 〕底本編者による補足、[ ]はブログ主による補足を表す。 ( )付数字はブ…

夢窓国師仮名法語(十=終わり)

輪廻ということを、 あかつきのうき別れにもこりずして あふはうれしき宵のたまくら (夜明けのつらい別れにも懲りずに、また宵になるとぴったりと顔と会うことがうれしい手枕のように、いずれ別れてしまうが出会いの喜びを繰り返す輪廻であることよ。) ど…

夢窓国師仮名法語(九)

題しらず このほどは思ひおりつるぬのひきを けふたちそめて見にきつるかな (今回は、前から思いをはせていた布引の滝に、旅立って今日見に来たことだよ。) きる傘もおへるたきぎもうづもれて ゆきこそくだれ谷のほそみち (身に着けている傘も背負ってい…

夢窓国師仮名法語(八)

有馬の温泉につかられたとき、その山のふもとにお堂があったが、古くなって破損していて雨漏りもしているのをご覧になって、 寺ふりてあめのもりやとなりにけり ほとけの仇をいさやふせがん (寺が古くなって雨漏りがするようになってしまった。仏に害をなす…

夢窓国師仮名法語(七)

綱州の退耕庵(1)に住まわれていたころ、ある人が来てこの住居の珍しいことに心がとまったことを和歌に詠んだが、その返歌に、 (1)千葉県いすみ市にあったらしい庵。そこからすると綱州は上総国をさすか。 めづらしくすみなす山のいほりにも こころとむ…

夢窓国師仮名法語(六)

瑞泉院の一覧亭で、雪が降った日に、 まつもまたかさなる山のいほりにて 梢につづくにはのしらゆき (松の木が重なるように生える山の庵で、その梢から庭までも白い雪が続いていることだよ。) 雪の中で、草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶ…

夢窓国師仮名法語(五)

征夷将軍(その当時の亜相)ならびに厩(1)(足利義詮(よしあきら))が西芳寺に来られて仏法の談義をなさった後、庭前の二本の桜の木がすばらしいのを鑑賞された折に、人々が和歌を詠まれたときに、 (1)厩:馬寮の守。 いつも見ばかくめづらしき事は…

夢窓国師仮名法語(四)

夢窓国師御詠 甲州(今の山梨県の辺り)河浦という所に山籠もりしていらした庵の庭の雪がまだらに消えて、人が踏んだのに似ていたのをご覧になって詠んだ和歌 わが庵(いお)をとふとしもなき春のきて にはに跡ある雪のむらぎえ (わたしの庵(いおり)を人…

夢窓国師仮名法語(三)

和歌 一 のちの世の遠きをねがう人はみな ちかきむねなる仏しらずや (死んで後の遠い世を願う人たちはみな、すぐ近い自分の胸にある仏を知らないのだろうか。) 一 あさゆう(1)に有無ぜんあくにとまらずば ひとを自在のほとけとはいう (1)底本では「…

夢窓国師仮名法語(二)

ねられずば起きていよかし梓弓 あたらぬまでもはづれざりけり (寝られないのであれば起きていればよい。考えが的にあたらなくとも、外れることもないというものだ。) どうせ眠れないのであれば起きていて自分の生死の一大事を究めなさるがよい。たとえこの…

夢窓国師仮名法語(一)

*夢窓国師(むそうこくし:1275-1351)=臨済宗天龍寺開山、夢窓疎石(むそうそせき)禅師の仮名法語。底本:『禅門法語集 中巻 復刻版」ペリカン社、平成8年補訂版発行〕 *〔 〕底本編者による補足、[ ]はブログ主による補足を表す。 ( )付数字はブ…

聖一国師(東福寺開山)仮名法語(六=終わり)

古人法語(1) 参禅の日々を重ねて成果を得ようと思うなら、千尺(2)の井戸の底に落ちたかのようにするがよい。朝から夕方になるまで、夕方から朝になるまで、千万という思案や分別を、ひたすらこの井戸を出ようとすることを求める心だけにして、ほかのこ…

聖一国師(東福寺開山)仮名法語(五)

問い もし見性成仏の本質を明らかにすることなく、臨終に向かっている時には、最後にはどのような心構えでいればよいのか。 答え 一心が起こって生死がうまれる。無心のとき、生まれる身もなく、消滅する心もない。無念無心のとき、まったく生滅というものは…

聖一国師(東福寺開山)仮名法語(四)

問い 長い間坐禅修行をしている人は、身心が明るく清浄に違いない。初めて修行をする人は、妄想や顛倒(てんどう、さかさまな思い違い)がどうして止むだろうか。 答え 妄想や顛倒を憎んではならない。ただ心の本性を明らかにしなさい。一心が分からず迷って…

聖一国師(東福寺開山)仮名法語(三)

問い 見性し道を悟った人は、じかに仏だとは言っても、どうして神通力や光明に輝くようなことがないのか。また普通の人と違って、霊妙な働きとみえるようなこともない。これはどういうことか。 答え この身は、過去の妄想から造り出されているので、見性した…

聖一国師(東福寺開山)仮名法語(二)

問い 善根(ぜんこん、善い報いの原因となる行為)の功徳を積まなければ、どうしてあらゆる徳が円満に備わった仏となることができるのか。 答え 善根の功徳を集めて仏になろうと願う人は、三大阿僧祇劫(1)を経過して成仏することができよう。ただ直指人心…

聖一国師(東福寺開山)仮名法語(一)

*聖一国師(しょういちこくし:1202-1280)=臨済宗東福寺の開山、円爾(えんに)禅師の仮名法語。底本:『禅門法語集 中巻 復刻版」ペリカン社、平成8年補訂版発行〕 *〔 〕底本編者による補足、[ ]はブログ主による補足を表す。 ( )付数字はブログ…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(十四=終わり)

(「僧俗(僧侶と俗人)の因果の事を示す」の項つづき) 三つ目は順後業。これはこの世で作る罪が、三世四世あるいは百世千世の後でもきっと報いを受けるというものである。順後生受業と言うのである。影が形にそうようなもので、必ず因果が合致したときにこ…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(十三)

〇 僧俗(僧侶と俗人)の因果の事を示す 私は一切経(すべてのお経)を二回見たが、どれほど悪いからといっても、出家の人がふたたび俗人に返るべきだとお説きになっている経はない。それなのに、出家が誠の道を行わなければ、地獄に落ちることは矢のごとく…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(十二)

〇 教外 教外(きょうげ)というのは、不立文字(ふりゅうもんじ)の宗であり、いわゆる禅宗がこれである。学ぶべき師もなし、示すべき働きもなし、教えるべきものもなし、ただ自ら独り真理を悟るのである。心は透きとおり輝くようで一物もない時、煩悩もな…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(十一)

[これまでブログ主による注は*を使ってきましたが、数が多くて読みにくいのでここから括弧付き数字に変更します。] 〇 教内 教内(きょうない)(1)というのは次のようなことである。真言宗では、六大(ろくだい)(2)はことごとく仏の法身、本体であ…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(十)

〇 無相 無相(むそう、姿形がない)というのは、諸仏の心の姿、衆生の心の源である。あらゆる物事は、無相を根本としている。それゆえ達磨が言うには、菩提(ぼだい、悟りの知恵)は、無相を本性としている、と。衆生は有相(うそう、姿形のあること)に捉…

永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(九)

〇 見性 見性(けんしょう)というのは仏性(ぶっしょう、ほとけである本性)である。あらゆる物事の真実の姿である。衆生の心の本性(ほんしょう)そのものである。この本性は有情(うじょう、命あるもの)非情(命のないもの)すべてに渡り、凡夫でも賢人…