永平仮名法語(道元禅師仮名法語)(十三)

〇 僧俗(僧侶と俗人)の因果の事を示す

 

私は一切経(すべてのお経)を二回見たが、どれほど悪いからといっても、出家の人がふたたび俗人に返るべきだとお説きになっている経はない。それなのに、出家が誠の道を行わなければ、地獄に落ちることは矢のごとくであろう。それだけでなく、昔天竺(インド)に善星倶、伽羅といって悪い出家で、生きながら無間地獄に落ちた二人の僧がいた。その折、多くの御弟子たちが釈尊に嘆き申し上げたのは、仏はおよそ三千世界を曇りなくご覧になる目をお持ちであり、これほどの悪人が生きながら地獄に落ちるはずだということは、きっとすでにご存じであったでしょう。どうしてこの者に出家をお許しになったのでしょうと申し上げると、仏がお答えになるには、私がこの二人を見ると、昔からまったく功徳の種というものがない。なんとしても仏道を成就する因縁はない。今回、悪いのではあるが、出家の姿となるだけでも、最後にはきっと成仏という結果を得ることのできる因縁となるので、悪いはずのことはかねてから知っていたが、出家としたのである、とお答えになる。これで分かるのであるが、出家することの功徳は最上のものであることは信じるべきことである。在家(ざいけ)の人でも良い人であれば、仏法者であり得ることは、これを認める。出家はどれほど悪い人間であっても、仏法に近い仏法者なのである。このように言うと、出家の功徳がすばらしいことを褒めるようなものだけれども、出家は悪くてもよいと言っているのではない。そもそも出家というのは、じかに生き死にを離れ、塵労(世間の煩わしい関わり)を出ている印であるから、情けない状態になり果て、この一生で仏教を修めた道者(どうしゃ)にならないということだけでも見苦しく残念なことであるのに、まして悪人であるようならば、仏法は関係の近さとはかかわりなく因果の道理から外れるはずはないのであるから、悪人であれば必ず地獄に落ちて、一劫(1)二劫三劫あるいは百劫を経過しても悪業を尽くすことができず、その間にどれほどの多くの仏が成道し、涅槃に入られることだろうか。その間、地獄の番人のように留まるのは、罪業の深い在家の人よりも重いはずの罪である。人を教えて導くはずの身であるのに、むなしく悪道に落ちてしまえば、二重の誤りである。殺生、偸盗(ぬすみ)、邪淫、妄語(うそ)は四重禁(2)といって必ず地獄に落ちる元であり、免れることはできない。出家の人もこの結果を受けるはずであり、ましてや無間(むけん)の業(3)などを作っては、何劫を悪道(地獄・餓鬼・畜生の三悪道)で過ごすことになるだろうか。その間に多くの仏が世に出られるのにも漏れて、悪道での劫数を送ることは悲しい事である。そうであるから、出家は、必ず必ず、良くあるべきなのである。およそ善悪について三種の業がある。これを知らないと、多くの間違った見解を起こして因果をないがしろにし、自分の心にまかせて悪を造ってしまう。これを悪無得見(4)と言い、撥無因果(はつむいんが)(5)の人と言う。まずどのような罪よりも撥無因果の罪に落ちるのである。撥無因果とは、因果となるはずのことを恐れないことを言う。三種の業というのは、一つ目は順現業(じゅんげんごう)である。今の一生で罪であれ功徳であれ行って、すぐに今の一生のうちで報いを受けるのを順現生受業と言う。二つ目は順次業(じゅんじごう)。これは、今の一生で非常な善や非情な悪を造り、死ぬときに中有(ちゅうう)(6)なく、すみやかに無間地獄に落ち、また極楽都率(とそつ)(7)にも生まれるのである。五逆(ごぎゃく)というのは、一つには父を殺すこと、二つには母を殺すこと、三つには阿羅漢を殺すこと、四つには仏身より血を出させること、五つには出家同士の仲を悪く言うこと、これを破和合僧(はわごうそう)と言う。この五逆罪を作る人は、必ず無間地獄に落ちるのである。これを順次生受業という。

                             (この項目つづく)

 

(1)劫(ごう):古代インドの非常に長い時間単位。さまざまな規定があるが、ヒンドゥー教では43億2000万年という。

(2)四重禁(しじゅうきん):四つの非常に重い罪。

(3)無間の業:最も悪い地獄である無間地獄に落ちる行為。五無間業といい、母を殺すこと、父を殺すこと、阿羅漢を殺すこと、僧の和合を破ること、仏身を傷つけること、の五つ。業(ごう)は善悪の行為の結果として引き受けることになる報い。あるいはその行為。

(4)悪無得見(あくむとくけん):一切は無であるから、報いとして受け取るものもないとする誤った見解、くらいの意味か。

(5)撥無因果:撥無は払いのけて顧みないこと。因果を否定する誤った見解。

(6)中有:死んでから次に生を受けるまでの間のこと。

(7)都率:都率天のこと。天界の一つで、弥勒仏が下生を待つところとされる。