至道無難禅師「自性記」(10)

一、孔子は「私の道は、一つのことがこれを貫いている」*とおっしゃっている。心は天地に通貫するということである。仏法でいう「摩訶般若(まかはんにゃ)」**のことである。

*『論語』に出る言葉。

**「摩訶般若」:魔訶は「偉大な」般若は「知恵」。

 

一、ある人が、孔子は「怪力乱神(かいりょくらんしん)*を語らない」のであるが、どうして語られないのかと尋ねたので、この人に私は言った。聖人には、そういうことがないのである。尋ねた人が言うには、中国の人が言ったのは、怪力乱神は正しくないので、孔子は語られないのだということだったという。

*怪力乱神:説明できないような存在や現象。

 

一、親から財産を譲りうけた人、父は我が子なのでかわいそうと思ったのだが、継母はにくむ。子はこれを知らない。父の愛をありがたいと思う。遺産を譲りうけたが、ほどなくして貧乏になる。継母が欲しいと思っていたのをうけたからである。父が死んで後、継母が残って、これも自分の子をかわいがったけれども、思い出すと変わってしまうのである。とにかくも念の恐ろしさを知っても、自分の悪念を消し去ることができない。

 

一、親から財産を譲られない人、たくさんいる中で、ある人は少しも親に怨みをもつことなく、弟に宝を与えて、自分は物事を少ししかもらわない人がいて、この人は後までその家が富んだ。道さえただしければ、天から富は与えられるのである。それを知らずに、自分は賢いと思って、何事も自分の思うようにするならばとくに、必ず悪くなるものである。

 

一、修行に深い志をもつ人で、師匠がいないのを嘆いて山に入りたいと言った人に、仏の心は現れたかと尋ねると、人の多い所では妨げが多くて願いもかなわない、山に入って静かに探究したいと言う。私は言った。仏を知って、それを養うために山にお入りなさい、と言って詠んでやった。

  悟りをも開かで山に入る人は

  けだものとなる印なりけり

 (悟りを開かないで山に入る人は

  獣となるしるしである)

 修行者に詠んでやった。

  うつくしき形と見るは心なり

  迷うはおのが身よりなすなり

 (美しい姿だなと見るのは心である

  それで迷ってしまうのは身からするのである)

  修行者は男女の仲を遠ざけよ

  火には剣もなまるものなり

 (修行者は男女の仲を遠ざけなさい

  火には剣もなまってしまうものだ)

  世の中をのがれて見事なるものは

  坊主と色と欲となりけり

 (世の中をすっかり逃れ去って見事なのは

  坊主とその情欲であるよ)

 

一、ある人が、武士の家にとって、仏道はその道を誤ってしまい、人も柔らかになって、家風を失ってしまうと言ったので、その人に私は言った。何でそのようにおっしゃるのか。仏道はけっして別のことではない。人の心を言うのである。素直な心であれば、天下国家はよく治まるであろう。たとえば主君の命に代えて自分が死ぬとしても、仏法の大道が確かであれば、じかに生き死にを逃れ、心は安楽であろう。乱世において敵と味方が隔てられている時、慈悲心が深く正しい大将には、従う者が多いであろう。軍法においても天の助けを失うことはないであろう。素直で正しい心は、じかに天なのである。

 

一、人ほど悲しいものはない。神や仏に向かって、富貴(財産や高い身分)を願う。願う心をやめれば富貴であることを知らない。

 

一、食べ物に珍しいものを好むよりは、食べたいと思うときに食事に向かえばすすむことを知らない。

 

一、身に善いことを好むよりは、身を思わなければ安心である。

 

一、仮にも親の命日をおろそかにしてはいけない。必ず罰を受けるのである。特に生きている親に不孝をするのは、恐れ多いことである。主君や師匠の罰は、言うに及ばす、恐ろしいことである。

 

一、無一物を見届けたことは確かであるとしても、身の悪が出て、太陽や月を雲が隔ててしまうようなものである。夜も昼も自分の身の悪を消し去りなさい。人から悪く言われ、悪くされるとき、身の悪が消えると思って喜びなさい。そのように努めて、努めて、身の業が尽きるとき、宝物に向かい、色事に向かっても染まらない事は確かである。そのときに人を弔えば浮かぶ。人に教えればうなずく。自分の業が尽きないうちに、もし仏道を問う人がいれば、お互いの修行と思って話しなさい。すこしでも何かを得ているという心があれば、罰を受けることは疑いない。

 

一、凡夫(ぼんぷ、仏法を悟らない普通の人)の願いの浅ましいことよ。定め無きこの世と知りながら、定めがあることを願い、年老いて見苦しいと知りながら、命がのびることを願い、若いときに老人を嫌いながら、自分が年老いてからは人に交わることを願い、かなわないと知りながら、口でも良い事が起こることを願い、心でも願う。

 

一、ある人に教えて言った。根源の所を強く努めるのには及ばない。たとえばわが身の苦労を神や仏にいのるよりも、過去の業が尽きると思えばそれでやむ。

 

一、物に憑りつかれた女が、あとで元に戻った時に、ある人が正法(しょうほう、ただしい仏法)には特別なことはない。どうなれば特別なことがあるだろうか、と言う。私は言った。正法に特別なことはない。普通の心持ちでいる人が、物に憑りつかれるのは、特別なことである。あとで元の人に戻る。まったく特別なことではない。その人は「もっとも」と頷く。