盤珪禅師「盤珪仏智弘済禅師御示聞書 上」(8)

二十一 禅師はまた言われた。私がこの集まりで毎日毎日繰り返し繰り返し同じ事ばかりを言うのは、以前聞いた人は何度聞いても聞くほど確かになることはあっても、聞いて妨げになるということはありません。まだ聞いていない人が、毎日毎日入れかわりにやって来て、今日初めて聞くという皆さんが多く、これはその皆さんのためにはまた根元からとっくりと言って聞かさないとなりませんわな。途中から聞いたのでは徹底せず、落ち着いて聞く人のためになりません。それゆえに同じことを繰り返し繰り返し、毎日毎日言うのでございます。いつも集まりに来ている皆さんは、たびたび聞くほど確かになってよろしい。また今度の結制にあたって初めていらした皆さんや、また毎日毎日代わり代わりに、今初めていらした皆さんは、元から聞かないと落ち着きませんので、根元から繰り返し繰り返し、言うわけでございますわな。根源からじっくりとお聞きになれば、よく落ち着きます。そうではございませんか。

 師はまた言われた。今この集まりの中に、老若男女、貴賤僧俗、四衆(ししゅ:四種類の仏教徒のこと。男女の出家者、男女の在家者)の弟子、一般に諸方から来ている古くからの修行者、また新しくやって来た四方からの修行僧たちが多くいる。もし悟ったと思う人がいるなら、誰でもよい、言って出なさい、私が証明してやりましょう。私が二十六歳のとき、一切の事は不生で整うという事をふと思いつきましてから、それを人に話してみたくなって、あちらへ行きこちらへ行ってみますけれども、一切の事が不生で整うという事を思い付いてから、天下に私の三寸の舌先に引っかかってくる人がありませんでしたわな。私らが道理をわきまえました時分は、はっきりとした師がおられなかったか、また居られても縁が無くてお目にかからることが無かったか、私のために確かに証明してくれる人がおらずに、随分苦労をいたしましたわな。今その苦労をしたことを思いまして、このように病身でありますが、悟った人がいれば、その証人として立とうというだけの大願を起こしまして身命を惜しまず、毎日この集まりに出まして、皆さんにお会いする事でございますわの。ですからこの仏道の道理が分かったという人がありましたら、私の前で言いなさい。証明してさしあげましょう。

 私が三十歳のとき、師匠が言われましたのは、 最近、長崎へ南院山道者超元禅師*という、中国の僧がお出でになったというので、お前も行って会ったらよかろうと仰いましたので、長崎へ行く支度をしておりますと、また師匠の仰るには、お前も今までは十徳(じっとく、男性用の和服の一つ)で済んだけれども、このたびは中国の僧と面会に行くのであるから、十徳では済まないだろう、仏法のためでもあるので、本式の衣を着て長崎へ行って、道者禅師に面会しなさいと言われましたので、始めて本式の衣を着まして、道者禅師に面会しまして、直接私が理解しました通りを申し上げましたら、道者禅師はひとめ見てただちに、汝は生死を越えた者であると言われました。その時分の僧の中では、まだこの道者禅師がこのように少しばかり証明してくださいましたが、今詳しく昔のことを考えてみますと、道者禅師も今日では十分ではございません。道者禅師がもし幸いに、今でも生きておられましたら、きちんとした人にしてやりましたのに、はやはや亡くなりましたので、不幸せでございます、残念でございますわの。

*南院山道者超元禅師(どうじゃちょうげんぜんじ、1662-1663):明の僧。1650年来日、長崎の崇福寺住持。盤珪禅師が訪問したのは1651年。

 

二十二 師はまた言われた。ただいま、皆さんはたいへん幸せでございますわの。私らが若い時分には、確かな師がおりませんで、またおられても縁が無くてお目にかかりませんでしたが、特に若い時分からして私は愚鈍であって、人の知らない苦労をしまして随分と骨を折りましたわいの。その無駄骨を折りました思いが忘れられず、身にしみておりますので、こり果てまして、皆さんには無駄骨をおらさないようにして、畳の上で楽々と仏法を成就させたいと思いますので、精を出してこのように毎日毎日出てきまして、催促をすることでございますわな。皆さんは幸せなことだとお思いなされ。このような事がどこにございましょうかの。私が若い時分には愚鈍であって無駄骨を折りました事を話して聞かせたくはありますが、自然と若い皆さんの中には、私のように骨を折らないと仏法を成就することはできないものと思われて、骨を折らせるようなことになれば、私の罪でございますので、話して聞かせたくはございますが、そうは言っても、若い皆さん、よくよくお聞きなされ。私のように無駄骨を折らなくても、仏法は成就いたしますので、かならず盤珪のようにしなくとも、仏法は成就すると思って、まずそのように心得て聞くのであれば、お聞きなさい。それなら話して聞かせましょう。

                                (つづく)