我が禅宗の根源は、本来のところを究めて、自分の身を正しくすることである。
ある時、達磨の絵を持って来て何か書けと言ったので
いかにしてこれほど嘘を付きぬらん
さりとてはなき悟りなりしを
(どうしてこれほど嘘をついたのだろうか
悟りといっても、ほらこの通りというものは無いのに)
また
おのれめにあたら迷いを覚まされて
世に住むかいも無き身とぞなる
(残念なことにお前に迷いを覚まされて
この世に住むかいも無い身となったことだ)
また
写し絵の怠らで説く法声を
聞く人あらば達磨宗なり
(この姿絵がずっと説いている仏法の声を
聞く人があればその人は達磨宗である)
ある人が臨済禅師の絵を持ってきたので
己めが破戒の比丘(びく)となる事は
仏祖を殺す報いなりけり
(自分が戒律を破る僧となる事は
お釈迦さまや祖師がたを殺す報いなのである)
達磨に
これをだに見る人ごとの迷いかな
描かずば元の達磨なるべし
(これさえも見る人がみな迷ってしまうことだ
描かなければ元の達磨であるはずだ)
おかっぱ頭の頃から身近で過ごして気やすくなっており、たいへんかわいく思っていたが、彼も甘えて、法師になってからもその気持ちがなくならないでいたのを見て、この様子では仏の加護から見放されるに違いないことを哀れに思って、退けた。自分の気持ちとは違うけれども、後の彼の報いを思い返してのことである。彼もたいへん苦しそうな様子で去った。
かりそめの別れだに憂き身なりけり
迷いのうちは人の世の中
(かりそめの別れでさえもつらい身であることよ
迷っているうちは人の世の中である)
ある人が、僧になりたいと尋ねるので、詳しく語ったことである。第一に、身を捨てることを根本とする。自分の心に思い切らせるためである。肉を食べないのは、血気を鎮めるためである。魚や鳥はもとより自分の友である。魚や鳥に自分の親兄弟がなったかも分からないからである。この三つを法師は嫌うのである。
どうして仏法はこれほどすたれてしまったのだろうか。つくづくと考えれば、他でもない、すべて身の内より病(やまい)となって、ついにその身を亡ぼすことは確かである。他の罪ではない、お釈迦様の罪である。すべて道と違ってしまったからである。もっともなことだ。元来の師匠である釈迦如来は、インドの国のあるじとして、国を捨て、妻子をお捨てになった。今は世間に捨てられて、仕方なく剃髪して、人にへつらいながら世を渡っている。姿を変え、することを変えただけである。心で求める所は、昔からひどいことになるのである。
ある時、昔の人の言ったことというので、迷えば悟る、と言った人がいる。またある人が言ったのは、悟りは無い、と言う人がいる。
私の近所の小さい子が言ったのは、昨日咲いた菊の花が今日は蝶になった、と言う。ある人は、蝶がとまったのであろうと言った。
昔、天下の道人と言われた人が、操り人形をまわすのを見てお泣きになったという。また同じ時、同じように言われていた人で、お眠りになっていた人もいる。
ある時、たいへん眠かったので、肘を枕にして少しのあいだまどろんでいると、夢の中で月や日の光が家の中に満ちた。目を開いてみると何もない。
屏風の上に猿がいて鳴いていたところで夢がさめた。夢がとても面白かったのに、さましてしまったことだと独り言を言っている。
破れたふすまの中から白髪のお爺さんが出て来て、どうしたのかと尋ねると、坐禅していたと言った。
昔自分が坐禅していた時に、たいへんきれいな女性が来て、傍にいたところ、坐禅が夢のように破られたことがあった。
ある時、かわいらしい子が話された事で、悟りというものは無いと告げられたのを、たいへん尊く思ったことである。またある法師が、私の所は悟りを元とすると語ったことも、たいへん尊かったことである。
死んでから後の世を祈る人に、私が尋ねて言った。どのような心を元にして祈られるのか、と問うと、分からない。ある人は、仏になるというので、と言った。私は教えて言ったが、知らないのであれば、祈らない方がまさっているだろう。
ある人が、死んでから後の世について、どのように願って修行に努めればよいのかと尋ねたので、南無阿弥陀仏と念じなさいと教えたことである。
また、まだ生まれる前のことは知らないし、死んでから後も知ることはできないだろうと言った人がいる。私は、常日頃の心はどうですと問うと、いろいろと望むことはあるがかなわないと言った。私は、もし願い事がかなえばどれほどか嬉しかっただろうと問うと、本当にそうですと言う。私が教えて、何も思わないでいなさいと言ったのをうけて、何も思わない修行をするといって目を見開き、強く努めていると言っていたが、本当にのちには、思わない人になったので、その折、何か願い事はあるかと聞くと、無いと答える。そうすると願いが満たされたのはたいへんめでたいと言ったところ、彼は頷いた。