盤珪禅師「盤珪仏智弘済禅師御示聞書 下」(9)

 また天秤棒で荷物を売る者が夜明け方から天秤棒を担ぎまして野を行き、山を越え、谷を走って世渡りに苦労をいたしますが、これらは出家の修行に比べてはかえって苦労は似たこともありません。なぜなら、商人も自分の家を構えて荷物を担いで出て、朝は星を頭上に見て夕べは露に身を濡らして商いをいたしましても、しまいには船宿でゆっくりと疲れをいやし、寝起きは心のままで、走り回ったことも忘れて、身分相応の楽しみはございます。

  出家は、もとより自分の落ち着きどころの家もございません。山に寝て、苦しくつらいめをみて、ひもじいだけ。行き先といっても自分を待つ人もありません。ですから一時でも気持ちよく疲れをいやす事がございません。衣服を常に所持しておりませんので、寒気を防ぐ用意もございません。出家の身の上は何にも比べようがありませんが、このように身を殺して修行をいたしますのは、かの仏の有難い事を見いだしたいと思うばかりのことで、難行苦行をするのでございますが、この修行が成就いたしますと、また名も知れ、妙智を得ることにもなります。

 仏心に優れた効能があることを話して聞かせましょう。三十年ほど前に、私の弟子になった者がございますが、ものを売ることで群を抜き、たびたび利益を得ましたので、世間ではこの者を「ぬすっと孫兵衛」と言いまわり、この者が道を通りますと、あの「ぬすっと孫兵衛」だと皆ゆびを指したのでございます。群を抜いて利益を得ることが上手でしたので、後には暮らし向きもよくなり、金銀を持ちました。私の所へはその頃から出入りしておりますので、私が申し聞かせましたのは、お前はもっての他である。ぬすっとと言われることは大変な過ちである。特に庵へ出入りする者が、そのような悪名で呼ばれることは、お前の誤りである、と意見をいたしました。しかし孫兵衛が申しますには、私は人の所へ入って物を盗むとか、蔵の家尻(やじり:後ろの壁)を破って盗むとかするなら恥とも思いますが、そのような盗みではございません。商いの道で利益を得ますのは、私一人に限ったことでもございません、と何食わぬ様子で居ましたが、その後何と思い付きましたか、私のところへ参りまして、頭をまるめて下さいと頼みました。他の者であれば詳しく聞くこともありましょうが、この者は日頃悪名がある者でしたから、大変よい志だと言ってさっそく坊主にしてやりました。それ以来、信心者になっております。これは何を申しているのかと言いますと、仏と申すものは霊妙な徳がございます。この者が坊主になりましてまだ三十日も過ぎない頃に、世間の人が「ほとけ孫兵衛」と言い回りました。このような事で、皆さんよくご理解なされませ。仏心ほど、世間で有難いものはございません。

 皆さんが不生の心になろうとお思いになるのであれば、この修行をなされなければ叶いません。このような戒律を守りなさいと言うのではございません。各人に備わっている仏心なのですから、私が皆さんへ仏心をお与えするというわけでもありません。この説法をよくお聞きになって仏道を獲得されましたら、そのままの不生でございます。諸大名が私を呼びに来ますと、どこでもこの説法をいたしますが、二十日、三十日とする所もございますが、どこでも、そこを去ってから後で聞きますと、信心者が生まれて、その上、国の風俗もなおるということです。この土地でも夜明け前にこのように毎回この集まりに加わっていただいて、怠ることなく聴聞をなさっていること、有難く思います。私もあさって三日に戻りますので、三日は説法はいたしません。