至道無難禅師「即心記」(5)

一、仏道への志を強く起こして、山に入ろうと思っていた人に言った。尊いこころざしです。修行を怠りませんように。たとえ山の奥だからといっても、浮世の外というわけではありません。元の心を離れなければ、住むところを変えただけのことでありましょう、と言って次の和歌を詠んだ。

  心よりほかに入るべき山もなし

  知らぬ所を隠れ家にして

 (心の他に入るべき山もない

  才知の及ばない所を隠れ家にして)

 

一、ある友人に誘われて、黒谷(くろだに)*を過ぎ清水(きよみず)**の方へ行ったときに、左手の方に細い道があるので行ってみると、垣根はまばらで、柴で編んだ扉を細く押し開いてみると、奥の方の荒れた床のあたりは塵に埋もれており、すだれにつる草が生い茂っている。朝食を作る煙がとぎれとぎれに出ており、仏壇の水を供える棚は傾き、お香や花をお供えするでもなく、仏様のようだが、お手やお足が欠けてなくなっており、仏様かどうかも見分けがつかない。念仏を唱える声がしわがれており、五十才を過ぎたくらいであろうか、高貴な感じで、かつては由緒ある人が落ちぶれた末と見える人が一人いて、どちらからと聞くので、この辺りを通り過ぎるときに心を惹かれ、この草庵に訪ねてきましたが、それもご縁が深いのでありましょうと、いろいろと話などをした。その人が言うには、昔や今の人の様子、良し悪しにつけて、あれこれと褒めたりけなしたりしますが、ともにこの世にはとどまることはなく、最後の別れを嘆いて、阿弥陀仏の名を唱え、夕べの鐘の音を聞いて、今日もまた情けなくも生きていると思うのですよ、と語ったので、ふと心を動かされて、

  世の中を思ひ離れて聞くときは

  入り会いの鐘は浜の松風

 (この世の中からすでに思いが離れて聞くときは

  夕暮れ時の鐘の音は浜の松を吹く涼しい風のようだ)

 *京都市左京区岡崎の地名。法然光明寺を建てて念仏を広めた。

**京都市東山区の地名。清水寺がある。

 

一、人ほど賢くないものはない。日頃何をするにも苦しみ悲しみ、昔をしのび、分からない行く末を嘆き、ねたみそねみ、自分を中心にものを考える。悲しみながら世の中にからめとられる。この世の一生は、なにやかやとたちまち過ぎてしまうものだ。生まれ変わり死に変わり、生を変えて苦しんでも、自分を捨てることができない。本当に迷いの深いものである。

   地獄餓鬼畜生修羅は世の中の

   凡夫の常のすみかなりけり

  (輪廻して行くという地獄、餓鬼、畜生、修羅は、この世の中の

   仏法を悟らない人が常日頃住んでいる所なのだ)

 

一、仏の教えのそのまま素直であるのを受け取って、直接あらゆる事柄を投げ放って、如如の体(はからいを捨てたそのままの姿)になって、大きな安楽を受けるのは、ことさら別のことがあるわけではない、つまりは身を思うと思わないとの二つである。この教えを本当にそうだと思う人はいるが、努力して自分のものにする人はまれである。

   本来の物となりたる印には

   犯すこと無き身のとがとしれ

  (本来のものになった印は

   わが身があやまちを犯すことがなくなることと知るがよい)

 

一、出家した僧侶というは、内外打成一片(ないげだじょういっぺん)*と言って、姿かたちがゆるがないのを言うのである。結局、死人が生き返ったかのようになるのを言う。死人はものを欲しがらず、人に恋をせず、人を嫌わず、仏道の大道を成し遂げて、人の良し悪しをよく知り、その人に勧めて仏道に至らせるのを言うのである。

*内外打成一片(ないげだじょういっぺん):普通は自分の内側と外側の区別があるが、その内外の区別が禅定によって打ち砕かれて、一つとなった状態。

 

一、世の中の人にありがちなこととして、珍しいものを求めるということがある。仏道の大道にはげんで平常何事もない人や、それぞれの道にふさしく素直であるのを嫌う。

 

一、ある人が、常日頃、どのように大道にはげむのかを尋ねるので、答えて言った。凡夫(普通の人)がそのまま仏である。仏と凡夫と、もとは一体である。知るならそれで凡夫となり、知らないのをもって仏と言うのである。