四十一、 大法を理解できない人に
あきらけき仏の道に入り得ずば
ただ怠らで願え後の世
(賢明な仏の道に入ることができないのであれば
ただ怠らないで、死んで後の世を願いなさい)
四十二、 心の鬼を問う
世の中の人は知らねど罪あれば
わが身をせむるわが心かな
(世の中の人は知らなくとも罪があれば
自分の身を責める自分の心であるよ)
四十三、 大道をよく知って人の師となれと思って詠む
本来のものとなりぬる印には
おかすことなき身のとがと知れ
(本来のものとなった印として
身の過ちを犯さないということがあると知りなさい)
四十四、 大道に至ったことを
少しなりと身に善し悪しの有るものは
本来のものとならぬなりけり
(少しでも身に善し悪しがある者は
本来のものとなってはいないのである)
[「有るものは」は別の本では「有るうちは」になっている]
四十五、 子どもをたくさん殺した人に教えて慈悲をさせれば善くなる人に
慈悲はみな菩薩のなせるわざなれば
身の災いのいかであるべき
(慈悲はすべて菩薩の行う行為であるから
身の災いというものがどうしてあるはずがあろうか)
四十六、 身の過ちを改めて喜ぶ人に
おそろしき我が身のとがを改めて
大安楽に入る法の道
(恐ろしい自分の身の罪を改めて
大安楽に入る仏法の道であるよ)
四十七、 三世不可得*
いろいろに表れいづる心かな
心のもとは何もかも無し
(いろいろと表れ出る心であるよ
心の元はまったく何も無い)
*三世不可得(さんぜふかとく):三世は、過去・現在・未来の三つの世のこと。不可得はこれといって把握できないこと。
四十八、 道を問う人に
天地(あめつち)の外までみつる身なれども
雨にも濡れず日にも照られず
(天地の外まで満ちる法身であるけれども
雨にも濡れないし、日にも照らされない)
四十九、 老人に
愚かさのなど身の上に積もるらん
老い弱りても死を知らぬなり
(愚かさがどうして身の上に積もっているのだろうか
老いて弱っても死ということを知らない)
五十、 長生きを好む人に
千世(ちよ)経(ふ)べき心を思い捨てぬべし
月日はいつも同じことなり
(生まれ変わって千もの世を経て行く心を思い捨てなさい
月日はいつも同じことである)
五十一、 あまた(たくさん)道のことを尋ねる人に
いろいろの教えに迷う法の道
知らずば元のものとなるべし
(さまざまな教えに迷う仏法の道
知らなければ元のものとなるだろう)
[「あまた」は別の本では「あまたに」としてある]
五十二、 また
さかしまに阿鼻地獄へは落つるとも
仏になるとさらに思うな
(真っ逆さまに阿鼻地獄へ落ちたとしても
仏になるとはけっして思ってはいけない)
五十三、 慎みを問う人に
つつしみといえる言葉に迷うかな
ただ何もなき心をぞ言う
(慎みという言葉に迷っていることだ
ただ何も無い心を言うのである)
五十四、 ある人に
何事も凡夫に変わる事はなし
仏祖*というも大魔なりけり
(何であっても凡夫と異なることなどないのである
仏や祖師というのも人を迷わす魔物なのである)
*仏祖:仏はお釈迦様、祖はお釈迦様の法を継いだ歴代の師のこと。
五十五、 夢を問う
寝ても夢起きても夢の世の中を
夢と知らねば夢はさめけり
(寝ても夢であり、起きても夢であるこの世の中を
夢だと知らなければ夢は醒めるのである)
五十六、 また
生きているものを確かに知りにけり
泣けど笑えどただ何もなし
(生きているものを確かに知ったことだ
泣けど笑えどただ何も無い)
五十七、死して後を確かに思い知りにけり
ただ何も無し無きものも無し
(死んでからあとを確かに思い知ったことだ
ただ何も無い、無いというものも無い)
五十八、 私の常日頃を問う
本来の悟りの印あらわれて
身さえ残らず消え果てにけり
(本来の悟りの印が表れて
身さえのこらず消え果てしまった)
五十九、 自分こそ慈悲をしていると思っていた人に
常々に心にかけてする慈悲は
慈悲の報いを受けて苦しむ
(つねづねそう意識しながらする慈悲は
慈悲の報いを受けて苦しむのである)
六十、 道理を問う人に
みちのくの浜名の橋の音羽山*
雁の鳴く音(ね)に駒祝うなり**
(東北の浜名の橋の音羽山
雁の鳴く声に馬のお祝いをするのである)
*「みちのく」は東北、「浜名の橋」は静岡の浜名湖の浜名川にかかっていた橋、「音羽山」は京都と滋賀の境の山で、理屈では空間的につじつまが合わない。
**「雁の鳴く音」は雁がねぐらに帰ってゆくときの鳴き声で夕方、「駒祝う」は江戸時代の馬の旅の安全を祈る旅立ちの儀式で早朝、理屈では時間的につじつまが合わない。
六十一、 ある僧が人に仏法を説いていたので詠んだ
悟りても身より心をしばり縄
解けざるうちは凡夫なりけり
(悟りを開いても自分の身で心を縛っているのであれば
その縄が解けないうちは凡夫と同じである)
六十二、 仏法の敵を問う人に
世の中の人のかたきは他になし
思うわが身は我がかたきなり
(世の中の人の敵は他にはない
わが身のことを思うその身が自分の敵なのである)