盤珪禅師「盤珪仏智弘済禅師御示聞書 下」(3)

 同二十五日朝の説法

二十五 このように夜明け前から大勢この集まりへお集りになって私の話すことをお聴きになろうとお思いになる事、これがすなわち仏心で不生の心でございます。朝早くからどなたもここへお出でになるのは、会い難い説法とお思いになるのでなければ、このように志が起こりません。それでこの集まりへ来られる方々、五十歳にもなられる皆さんは、五十年のあいだ、我が身に仏心のあることもお知りにならず、三十歳の人々は三十年間、今日までこのことわりをお知りにならず。うつらうつらと年月をお送りになったが、今日、この集まりで、各々の身に備わっている不生の道理を納得されれば、そのまま今日からどなたも仏心でございます。私がどなたへも説いて聞かせますのは、皆さん各々が不生であるということを、納得させるまでのことでございます。これをとくと納得なされますれば、今日から仏心で、万劫億劫ののちまで、釈迦に変わらぬ仏体を得て二度と悪道に落ちることはございません。

 しかしながら、私が申して聞かせます不生の道理をここで納得なさって皆さんそれぞれの宿舎に帰られて、見ること聞くことに腹立ちの心が起こりますと、少しの腹立ちがこの不生の道理をお聴きにならない前の大きな罪に何万倍何億倍も増して、今日お悟りになられた不生の心を修羅餓鬼道に変えてしまって、仏心を失い、流転をなさるというものでございます。

 皆さんの中で、どなたも仏に成ることは嫌だとお思いになる方は一人もおられまい。それですので、どなたへも説法をして聞かせるのでございます。ここを納得なさって、今日からの仏心でございます。また私が、仏になる必要はありません、地獄へ落ちなされと勧めましても、我こそはその地獄に参りましょうとおっしゃる方は、半人もおられまいと思います。その証拠には、この集まりにご参詣になって説法を聴聞なさろうと思われる。夜のうちから起きてここへ参られる。そのように、この大勢の方が押し合って大変なのも構わず、説法をお聴きになるのは、各々が仏に成りたいとお思いになるからで、そのようなお心掛けの上からは、今日から万事つつしまれるのがよろしいのでございます。

 この人間の世界に生まれたのは何のためであるかと考えますに、仏になるべきためで、心と身体を得ました私は、幼少より仏になりたいと思いまして、日ごろ心がけましたので、元来仏心であることを納得しました。このたびに成仏しなければ、餓鬼畜生道へ落ちます。畜生道へ落ちましてからは、満億劫という長い時間を経ても仏になることはなかなか及びもつきません。その証拠に、ここへ牛馬を引いて参って、私がその前でどなたへも申し聞かせます勧めを聞かせましても、この牛馬が納得しましょうか。畜生(動物)になってからは人のもの言うことが理解できませんから、畜生となりましてからは仏といっても仏法といっても理解することができません。もっとも、仏に成りたいと思う心自体がございませんから、流転しているのでございます。このような道理をお聞きになって、今日からみなさん各々が流転しないように、不生でおられよ。皆さんの考え次第でございます。

 もっとも不生の心と申しますものは、とりもなおさず仏心でございます。この集まりの座では、わたくしが申し上げることをお聴きになろうとお思いになっているまででございますが、この寺の外で犬の声や物売りの声がするのを、この説法のあいだに聞こうと思ってはいなくても、皆さん各々の耳に聞こえます。これが不生の心というものでございます。たとえば不生と申すものは、きれいな鏡のようなものでございます。鏡というものは、自分に何でも映ったならば、見ようとは思わなくても、何であれ鏡に向かえばその姿が映らないではおられません。またその映るものを取り除けば、この鏡が見ないようにしようとは思わないけれども、取り除ければ鏡には映らないのが、不生の気と申すものでございます。何でもあれ、見よう聞こうと考えた上で見聞きするのは仏心ではございません。前から見聞きしようとは思わずに、物が見えたり聞こえたりするのが、各々に仏心が備わっている徳のゆえでございます。これがすなわち不生の心でございます。このようになんでも理解できますようにして不生の道理を聞かせます。今日、これもご理解なされなければ、千句万句の言葉をお聴きになっても、仕方のないことでございます。たった一度の集まりでも、この道理をご理解なさった方は仏と申すものでございます。

 また、譬えをもって申し上げるならば、高松から丸亀へ参ります道すじを知らなくて、知っている人に教わるとき、こうこうと細かに教えるのをしっかりと学んで、その通りに行きますれば、何の苦労もなく参りつくことができます。まずそのように、今日私が示してお聞かせするところを、よくお聞きになって、どなたもご理解なされば、そのままの仏心でございます。また丸亀の道すじをよく教わっても、教えの通りに行かなければ、別の所へ行ってしまうようなものでございます。そういうわけですから、私が示す説法をもっともとお思いになって、いろいろの念を起こして流転なさいますな。このたび仏におなりにならないと、万劫のあいだ仏心の根を絶ってしまいます。しっかりと不生の道理を納得なさって、迷わないのがよろしいのです。